こんにちは。oztoです。
メモ帳さんがまたまたまたとても興味深い記事を上げてますね!
こうしてメモ帳さんが素晴らしい熱い文章を上げるたびに、
ツイッター(X)で2~3言便乗した自己満足な昔話をするのがいつもの流れだったのですが・・・。
今回は2~3言で済まずそれなりの文量になったことと
メモ帳さんからの熱いリクエストを頂いたので
こちらでまとまった記事にします。
まあ言ってもオッサンの昔話です。
コメントの歴史と言いつつ完全な自分語りですが
メモ帳さんのお墨付きを頂いているので厚顔無恥で突っ走ります。
ご興味ある方はよかったらどうぞということでヽ( ・3・)ノ
さて、メモ帳さんの今回のお話は投稿者コメントを使った動画について
その先駆者となった偉大な歪みねぇ動画のご紹介です。
当時のニコ厨であれば、視聴未視聴に関わらずこのサムネを見たことない人はおそらくいない(主語デカ)。
それほど当時のランキングに長く居座っていたように記憶しています。
この動画、コメントをオフにしたら黒画面に兄貴が浮かんでいるだけ。
こんな動画見たことないって当時でも結構話題になってたんじゃないかな確か。
ただ、自分はこの動画、投稿されてからしばらくは未視聴でした。
理由は単純明快。兄貴に特に興味なかったから。
でも長いことランキングで目にしていれば、
そして段々(投コメ動画という)内容について話題になっているのを見れば
興味も出てくるというもの。
いつ見たのかは覚えてませんが、どこかのタイミングでは見ました。歪みねぇ。
自分が投コメ動画を作ろうと思い至った直接の原因というわけではないのですが、
当時先駆者としていくつかあった投コメ作品の一つであったことは確かですね。
自分の投コメ動画制作時の記事(を復元した記事)が個人ブログに残っているのですが
→2014年01月04日「処女作キャプチャと思い出話」/ 気ままにニコライフ
ここでも先駆者の作品として紹介してました。
当時の投コメ動画の筆頭だったわけです。
さてさて、ここからが本題ですが、
メモ帳さんはこの動画についていかに先駆者であるか解説するなかで
当時のコメント界隈における匿名文化について言及しています。
そしてその文化が影響した一例として私のブログについても触れられています。
・・・今では共有のCAブログもある。ツイッターもある。
発信の場はいくらでもありますが当時はメモ帳さんの言う通り、
このような方法での発信はとても珍しいものでした。
せっかくなのでもう少しここらの経緯を補足させてもらいましょう。
当時はコメント職人(ここではあえてそう言います)は
オープンな場で発信することはほとんどありませんでした。
専らコミュニティだったり、クローズドなSNS内で活動していたのです。
私もしばらくはそういったSNS内で記事を書いていたのですが・・・。
個人管理のSNSだったのでサーバー維持面などで存続が危ぶまれていました。
さあどうしよう。どこかに移住しようかとなった時に、
この際だから自身でブログを作ってしまおうかと考えたわけです。
ですが、時代は先に話したような状況です。
メモ帳さんの記事にあるように「結構な勇気がいる行動」になります。
そして私にはそんな勇気はなかった。なかったよ?(・∀・)
・・・それというのも、ここで言う「勇気」とは
メモ帳さんのいう勇気とはもう一つ違った意味の「勇気」が必要だったこともあります。
それは
そもそもコメントアートというドマイナーなネタで
オープンなブログを作る意味はあるのか、ということ。
当時は今よりずっとブログが盛んでしたが、作ったからには
しっかり発信できるものが必要だと思っていました。
対してコメント界隈は今も昔もニッチなジャンルですが
当時は今よりも更に知られていない、
コメントアートという言葉も全く浸透していない。
(コメント技とか職人技とか色々呼ばれてましたね。)
そんなネットの片隅のサイトの、しかもその極々一部のみでしか通じないようなネタで
外部のサービスでブログを作っても大丈夫なのか?ということ。
コメント界隈内部の匿名文化もさることながら
そもそも外向けに発信するということが当時はほとんどなかったので
その意義はあるのかという憂慮がありました。
つまり克服すべき問題は内向きと外向きの2つあったわけです。
この2つの問題を克服する「勇気」を持ちながら
当時ほぼ誰も作っていないものを作るのは当時の自分にはあまりにも高いハードルでした。
そういった状況の中でブログを開設するという納得のいく理由を作るには
自分の中でもう一ついわば「言い訳」が必要でした。
それは「動画制作者(=ニコマスP)であること」です。
ニコマスとは当時ニコ動で大きなジャンルの一つだったアイマスMAD全般を指した言葉です。
ニコ動でアイマスMAD動画を投稿した動画制作者は「〇〇P」というP名を名乗る習わしで
それらを総称して「ニコマスP」と呼んでいました。
ニコマス界隈は当時すでに大きなコミュニティを形成しており、
ニコマスPの多くはブログを作って動画制作など進捗を上げていました。
ニコマスPでなくとも動画の感想ブログなどがたくさんありました。
そういう文化だったのです。
私自身、2008年9月と10月で投コメを合わせたアイマスMAD動画を作り
2作目は当時基準でそれなりに伸びました。
動画制作者(=ニコマスP)としてブログを作るにはうってつけのタイミング。
私は投コメをかけ合わせた動画を作るニコマスPなので
ブログでCAの解説をしてもなんの問題もないのだ!
・・・体のいい「免罪符」ですw
何事も逃げ道を作っておくことは重要なのです(・∀・)
こうして私は動画制作者(=ニコマスP)としてブログを立ち上げ
それにかこつけてCAの記事を上げて公開する場を手に入れました。
ブログの最初の記事はこの結果以下のような文になりました。
そうです。
「動画も作り始めたんで」ブログを始めたのです。
そしてURLも。
今は移転してしまったので変わってしまいましたが
当初のURLは「https://mcfp.at.webry.info/」でした。
mcfpは私のニコマスP名です。
つまりこのブログはそういうことなのです。
そして後半部分。
「あえて挑戦」はいわゆる匿名文化へのそれのみではなく
これまでクローズドな場で内輪向けに書いてきた制作日記やCA紹介記事を
公開の場で書くことへの挑戦という意味も含まれていました。
免罪符を得てブログを作ったことで初めてこれらに挑戦する「勇気」が持てたわけです。
ブログを解説するために投コメ動画を作ったわけではありません。
ただ、結果的に動画を作っていた、それもニコマスという当時の一大ジャンルで
作っていたことがブログ開設の大きな後押しとなりました。
そしてその投コメ動画の端緒が今回メモ帳さんが紹介された職人クエスト。
つまりは全部繋がっている。
当時はそんな因果関係なんて全く考えてなかったんですけどねw
ただ、こういった投コメ動画とニコマスというジャンルの関係、
そしてそもそもこれまで記事を書いていたSNSの不安定化というきっかけ。
その全てがが噛み合わなければ少なくともこの時点でブログを開設することはなかったと思います。
コメント界隈はコメントアートそのもののみならず
動画、環境、人、様々な面で関係しあって今の形になっている。
そのことを知っていただければ幸いでございます(`・ω・´)
以上、昔話でした。
・・・ちなみに、件の先駆者投コメ動画である職人クエストですが、
実はシリーズ化されており。
続編は兄貴が仲間になり天海春香さんと対戦しています。
・・・もしかしてこっちを先に見ていたのかもしれない?(アイマスだし)
いやどうだろう・・・もう忘れちゃいましたわw
いずれにしても、アイマス投コメ動画の先駆者もこの方ということです。歪めねぇな!