匿名絵系イベントで「全然解らん!!」と嘆いているであろう昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。口先では解らんと言っておきながら、どうせみんなテスト前にバリバリ勉強した癖に「今回、俺全然勉強しなかったわ~」と嘆いているフリをしている輩と同類なんでしょ。
「『俺も解んないよ~』って同意したら内心ではほくそ笑むんだろ! 騙されんぞ!」
俺ですか? 俺の立場は解らない側だ。普段から精錬潔癖で誠実な振る舞いをしている俺の発言なので、信用力はバツグンですね。この発言によって、「良かったぁ。なら僕と一緒に走って、マラソン大会一緒にビリになろうね♡」とド底辺争いをしようと目論む、本当に解っていない人達が群がってくる事請け合いだ。
「一緒に走ろうとか言って、どうせラスト間際で俺の事を置いていくんだろ! 騙されんぞ!」
今回の俺は本当に解っていない。解るのは配管さんのCAだけだが、その配管さんのCAですら配管さんマイスターの記事によって、疑いの目で見ざるを得なくなっている。
待ってた。
やったぁ、これで1問正解だ。でもセリフが入ってないから偽物の可能性があるって配管さんマイスターが言ってた。 pic.twitter.com/AIMvvq4QLN
— メモ帳 (@philo_77) February 17, 2021
18番はHAIKANSANマイスターさんによるワナかもしれないと疑い深くなったうたさんは警鐘を鳴らしてみます。
配管さんのフェネックさんと比べて線が少なく幼く作られている様な。。。
ミロさんの画風に近い印象なのです。 pic.twitter.com/b7j9fsNxgl— うた (@uta_6_u) February 17, 2021
「本物」と比較してみると、偽物の可能性が一気に湧いてくるぞこりゃ。なんか配管さんっぽくない。
もしもこの18番が本物だとしたら、この文章を読んだ配管さんは今頃「ワイが作ったものなのに・・・・ワイっぽさって一体何なんだろう・・・」と哲学し始める事になりますね。さあ、俺と一緒にコメント職人を哲学していきましょう(勧誘)。
偽物だとしたら、散々引っ掻き回す事が出来ているので、偽物は今頃ほくそ笑んでいる事でしょう。存分にその感情を堪能して下さい。今偽物のあなたがしている表情が、前回の14番で俺がしていた表情です。予想がどっちに転んでも面白い事になるぞこりゃ。
そんな訳でこの流れで予想記事を書く・・・・・・・とでも思った? 残念!! 今回の記事は、匿名絵系イベントどころかコメントアート要素も少ない記事になる予定です。
間違った答えでもいいから浮かぶのであれば、無理矢理予想を立てる事は可能です。今回問題なのは、その間違った答えすら浮かばないので予想記事を書くのは無理って話です。ムリヤリ名前を当てはめる事は出来ますが、それはサイコロやあみだくじで決めるのと何ら変わらないので、読んでて面白い記事にはなりませんよ。
答えに至った「その人独特の」思考プロセスを提示してこそ、面白い記事になる。「その人独特の」思考プロセスさえ示す事が出来れば、正解しても間違ってもありきたりでも他人の意見を参考にしても、面白い記事になりますよ。サイコロやくじの決定を「その人独特の」予想とは言わないだろう。
そんな訳で今回予想記事は書けない。しかし「全然解らないから何も書けないよ~~><」と嘆く輩と一緒にされちゃぁ困る。俺の場合「何故解らないのかは解っている」のです。これをテーマに書けば、力業でムリヤリ絵系イベントに関連づける事は可能なのだよワトソン君。
さあ、お勉強の時間です。折角のいい機会だからこれを機に、書いて置きたい事があるのです。
・「解る人」と「解らない人」は何が違うのか
・「見える側」の人達は何故見えるのか
見えている世界が何故こんなにも違うのかという事を、見えていない俺が解説していきましょう。見えていない理由は解っているので問題ないです。
ちなみにこの記事を読んでも、絵系イベント予想の正解率は針の先ほども変わりませんよ。なんの助けにもなりません。なので、試験終了のチャイムが鳴りやむまで必死に問題を解こうと足掻く受験生の様に、予想終了まで必死で誰が作ったのか当ててやろうと今現在頑張っている人には「こんな記事を読んでいる暇は無い」とだけ伝えておきます。今回はお勉強大好きな人に向けて書いた、とてもまじめな記事です。
「とてもまじめな記事とか言ってどうせ(ry」
それでは本編に入っていきましょうか。
論理的に考える
サイコロやくじやルーレットみたいな運任せで行き当たりばったりの考えではなく、ちゃんと筋道を立てて物事を考える営みを論理といいます。
皆予想をする際に「この記号を使う人は○○さんだから、これは○○さんだろう」「1週間で13個も作れる人間は相当に限られるから、13個は○○さんか□□さんだろう」「これは配管さんだろう」と、論理的に考えている事と思います。限られた手掛かりから筋道立てて考えなけりゃ、伸るか反るかは運任せ。
運任せのギャンブルではなく、限られた手掛かりから未知の解答を導き出す論理的手法に、アブダクションというのがあります。
アブダクション。
なんでいきなり横文字カタカナやねん、お前意識高い系かよあぁん、とアレルギー反応を起こす人が現れそうだが、日本語に対応する概念が無いので仕方がない。
「寿司」を英語でいうと「SUSHI」だし、「天ぷら」を英語で言うと「TENPURA」だし、「過労死」を英語で言うと「KAROSHI」だ。そんな感じで「abduction」を日本語で言うと「アブダクション」になる。
ギリシャの哲学者、アリストテレスが発明した概念です。アリストテレスは「万学の祖」と言われ、「考えなかった事は無い」と言われるほど、あらゆる物事について考えた哲学者。論理学についても考え、現在ある論理学というのは2000年前のアリストテレスによってほぼ完成されている。
アリストテレスの人物画では、ラファエロの「アテナイの学堂」が有名ですね。こちらの絵画に書かれているのがアリストテレスです。
「いや、どいつがアリストテレスだよ!!?」とツッコミが出てきそうだが、それは後で説明します。そして説明を受けてからもう一度この絵を見直すと、最初に見た時とはちょっと見方が変わる、という体験ができますよ。多分。何の予備知識も無い状態でこの「アテナイの学堂」を見た時と、知識を仕入れてからでは違う世界が見えますから。
閑話休題。アリストテレスは、論理と呼ぶものには3種類あると述べました。
①、帰納
②、演繹
③、アブダクション
帰納と演繹の知名度が抜群なのに対して、アブダクションは19世紀の哲学者パースが取り上げるまで、ずっと埋もれたままでいたので、あまり知られていない。馴染みのない概念ですが、予想に取り組んでいる人達がごく自然に行っている手法です。脳内で「なんとなく」やっている事を、言葉で解説していきましょう。
アブダクション
アブダクションについては、パースが例に挙げたハンターの例が解り易い。
獲物を仕留める為に、ハンターが山を歩いている。そしたら、皮が削られた木を発見する。それを見たハンターはこう結論付ける訳ですよ。「近くにシカが潜んでいるな」と。シカが活動しているエリアに突入した事が、ハンターには解っているのです。
何故ハンターには解るのか? 普通の人が、皮が削られたりめくられた木を見ても「ここは鹿のナワバリだな」とは考えない事でしょう。それどころか、木の皮が削られている事に気付かないかもしれない。
ハンターと普通の人の違いは、鹿についての「知識」があるかないかの違いです。鹿は、角で木をガリガリ削るという習性がある。奈良県民なら、そんな光景を見飽きる程見ているかもしれないが、普通の人はシカにそんな習性がある事は知らない。なので、どれだけ皮がめくれた木を見ようとも「この近くにシカが居る」という論理的な結論は出てこないのですよ。
運任せのギャンブルで「たまたま」「奇跡的な確率で」正解を導きだすのではなく、しっかりした筋道から一見ヒラメキにも見える突飛な結論を、論理的に導き出すこのハンターの手法が、アブダクションと呼ばれる手法です。
アブダクションは「表象」「対象」「解釈項」の3つの連続的関係から生じます。ハンターの例を一覧にすると以下の通り。
・表象:皮が削られた木
・対象:鹿
・解釈項:鹿は角で木の皮を削る動物である
表象というのは、目に見えている世界ですね。この場合「皮が削られた木」の事です。この表象は、ベテランハンターも普通の人も、同じ光景を見ています。
しかし同じ光景(表象)を見ているはずなのに、ハンターは鹿という対象に辿り着くのに対して、普通の人はシカに辿り着く事はない。
この違いをもたらすのが解釈項です。これは乱暴に言えば、その人の「知識」であり「どの様に世界を見ているか」という事になります。知識が増えたり、解釈の仕方が変われば、見える世界が変わってくるのですよ。
同じ世界(表象)を見ているはずなのに、同じ世界(対象)が見えていない。その違いをもたらすのが解釈項です。
長い期間、創作を続けているであろうこのブログの読者層なら、誰しも良く経験する事がある。昔の作品を見直してみると、恥ずかしさのあまり目を背けたくなる体験が山ほどある事でしょう。あるいは逆に「昔の俺すげぇ! よくこんなの作れたな」になるとか。
作った作品(表象)自体は、一切変わっていない訳ですよ(flashプレイヤーや互換の関係でグチャグチャになっているとかは別として)。作った当時は「これぞ俺の最高傑作だ!!」みたいに自信満々だったのに、成長した自分の目で見直してみると「どこが傑作やねん!!」になる。
目に映る表象が同じでも、解釈項が変われば見える世界は変わるのです。
知識が増えたり成長したりして解釈項が変化すれば、見える世界は「必ず」新しい世界になります。新しく見えないとしたら、知識が身になっていないとかで、まるで成長していないという事を意味しており、軽く絶望でもある。
解釈項を踏まえた上で、もう一度「アテナイの学堂」のアリストテレスを見て見ましょう。
アリストテレスはどこに居るのかというと、画面の中央にいます。
ここに写っている2人が、アリストテレスとプラトンです。
ではここで問題。
どっちがアリストテレスで、どっちがプラトンでしょうか?
「わっかんねーよ!」と言われそうだが、確率2分の1だから運任せのギャンブルでも50%は当たる。でもここに解釈項を加えれば、運任せのギャンブルではなく論理的に正解を導きだす事が出来る問題なのですよ。
この両者の関係についての「知識」がある人なら解ります。アリストテレスは、プラトンの弟子なのです。アリストテレスは若くしてプラトンの元に弟子入りし、数多いるプラトンの弟子の中で一番優秀な教え子となった。
この知識を踏まえて上の絵画を見直してみれば、正解が解りますね。年取っている方が師匠で、若い方が弟子です。つまり、左の老人がプラトンで、右の中年がアリストテレスです。勿論、年配者が若輩者に弟子入りする可能性もゼロではないから、アブダクションは必ず当たるという代物ではない。それでも、知識があれば運任せではなく精度の高いアタリを付ける事が出来るのですよ。
これは完全な余談なのですが、あなたの解釈項を増やす一助となるであろう小話を少々。プラトンの一番優秀な弟子であったアリストテレスだが、この2人は方向性の違いが原因でバンドの様に解散している。その方向性とは、絵に描かれている通り。
プラトンが天に向かって指をさしているのに対して、アリストテレスは地に向けて手を伸ばしている。天上の世界について論じたのがプラトンで、現実世界について論じたのがアリストテレスです。この両者の思想の違いを、たった一枚の絵で表現しきるラファエロの画力と教養に感嘆するしかない。
この「アテナイの学堂」をグーグルで検索すると面白いですよ。ただのモブかと思いきや、色々な人物が描かれていると解説されていますから。知識が無いと絵を見ても単なるモブで片付けてしまいますが、知識がある人には俺には見えない世界が見えている訳です。同じ絵を見ているはずなのに、全然同じ絵を見ていないというのが解り、解説を聞いて驚くばかりですわ。
ラファエロが凄いだけでなく、作品から読み解ける人も凄いわ。こういうのを見ると、幽白で青龍をぶった切った時の飛影と幽助のやり取りを眺めていた桑原の気持ちが味わえる。「な・・・何も見えなかった・・・・」
予想出来る人と出来ない人の違い
ここまで書いてきた内容で既に結論は出ているが、ここで改めて書いておきましょう。
予想できる人と出来ない人の違いは、CAや製作者についての「知識」があるか無いかの違いです。知識が無かったら、つまり解釈項が無かったら何も見えません。
このCAはどういう作り方で作っているのか、どんなテンプレを使っているのか、どんな記号を使っているのか、どんなツールで作っているのか。俺にCAの知識があれば、もっと具体的で「あるある」と納得されるような例を挙げる事が出来るのだが、生憎実力不足により、いい具体例が思い浮かばない。
勿論、CAの知識以外でなら、ある程度予想をする事は出来ますよ。「ヒツジさんがたった一枚だけで大人しくするはずがない」とか、「けもフレの課題でパリパリさんが燃えないはずがない」とか。
でもCAを見ても、お恥ずかしながら見えてこないです。普通の人が「皮が削られた木」や「アテナイの学堂」を見ても何も思い浮かばず通り過ぎる様に、俺が匿名絵系イベントの動画を見ても、何も思い浮かばず通り過ぎるだけですね。間違った答えすら浮かんでこない。
ツイッターで、一時期散々流れてきたこち亀の「全部同じじゃないですか」状態です。素人に見えている世界ってのはああいう世界なんですよ。
いや、もっとよく見ても知識の無い俺じゃ解らないんですって!!
よっぽど解り易い「私ですアピール」をしているCAでないと、無理ですね。課題絵ガン無視で野球ネタをブッ込んできたのは、HAYATOさんの「私ですアピール」だと信じてる!! そこを狙われた偽装作戦だったらもうお手上げや! あんなブッ飛んだネタを仕込むのは、段差一さんかフレンダさんかの2択で全然絞られないのだから。前回のイベで得た解釈項がなければ、段差一さん一択だったのに!
門外漢なので詳しくないのだが、CAの作り方は一つではなく、「○○式」と呼ばれるような様々な製法があるらしい。それらの製法に詳しい人ならば、「○○式で作ったCAと、□□式で作ったCAは全然違う」みたいな事も見えるのだろう。俺は見ても違いが解らないけれども。様々な作り方やツールや記号に詳しくなればなるほど、アブダクションの精度は上がっていく。
解釈項となる知識が多くても少なくても、解釈項が有りさえすれば(正解か不正解かは問わず)、何らかの答えは論理的に導き出されます。「このCAは多分○○さんかな」って感じで。しかし解釈項が無かったら、間違った答えすら出てきません。出てきたとしたらそれは単なる「思いつき」であり、論理的な繋がりが無い飛躍です。
逆に知識がある人の場合、突拍子もない思いつきに見えても、その水面下では極めて論理的な推論が行われていたりする。シャーロック・ホームズの推理は正にこれを体現しています。
ホームズは相棒のワトソンと初めて出会った時、ワトソンがアフガニスタンから帰ってきた軍医だという事を、一瞬で見抜きました。「私の事を誰かから聞いていたのだろう」と疑うワトソンに対して、ホームズはこう答える。
「とんでもない。僕には解ったのだ。君がアフガニスタンから来たという事がね。長い間の習慣で、思考の途中経過を意識しない内に結論に達してしまうのだが、順序を追って説明するとこうなる。
『医師らしいが、軍人の雰囲気を持った男、といえば軍医という事になる。顔は黒いが、手首は白いから、熱帯地方から帰ったのだろう。彼の痩せこけた顔をみれば、苦労し、病気をしたのはすぐ解る。左手の動きがぎこちない所を見ると、左腕にけがをしているな。英国の軍医がこんな目にあう熱帯地方と言えば、アフガニスタンしかない』
僕がこれだけの推理をするのに一秒とかからなかった」
コナン・ドイル著 「緋色の研究」
これぞアブダクションの究極系ですね。
俺も一時期「実に簡単な事だよワトソン君」とドヤ顔したくて、シャーロック・ホームズを読んでいた時期があったのだが、上記の様な鮮やかなアブダクションを出来た試しが無いわ!
予想をする時、確信を持って一瞬で製作者を見抜いた場合(正解・不正解を問わず)、何で解ったのか他人に説明するのは相当な労力を使う事でしょう。順を追って説明すれば何てことはないのだが、思考プロセスが一瞬すぎて自分でも解らないプロセスがあるかもしれない。
(偽装作戦の疑いが無い)配管さんのテンプレCAを見た人は、シャーロック・ホームズ並の早さで「あ、これ配管さんが作ったCAだ!」という論理的な結論が一瞬で出てくると思う。では何故配管さんのCAだと解ったのか? というのを他人に言語で説明するとなるとかなり難しいのでは。アブダクションというのは何もごく一部の天才だけが使える手法ではなく、誰しもがこうやって日常的に行っている事だと実感して欲しい所です。
アブダクションの精度を上げる為には何をすればいいのか。アブダクションの3つの項目「表象」「対象」「解釈項」の内、個人の力でコントロール可能なのは「解釈項」のみです。
どれだけ多様な物の見方(知識や経験)を通して世界を見る事が出来るのか。何かを学ぶという事は、この解釈項を増やしていくという作業に他なりません。常に新しい事を学び続け、新しく変わった世界を見て、新しい事にチャレンジし続ける。
コメントにしても「CAというのはこうやって作る物だ」「CAにはこの記号を使うのだ」と、特定の知識に留まる事なく、男は度胸なんでも試してみるもんさ的なノリで、何でも学び続けていた人には有利なイベントになっています。腕の見せ所さんですね。何も学んでいない俺は、見せつける腕を持っていないけれども!
コツコツとした普段の積み重ねが大事。授業中ずっと居眠りしていたくせに、テスト本番だけいいカッコしようとしても無理と言うものですわ。それでも、試験終了のチャイムがなるまで足掻きたい人にとって、段差一さんのブログは非常に役立つ事でしょう。
匿名イベントの為に書かれた段差一さんのブログは解釈項の宝庫です。「見える側」の人間ってのは、あんな細かい所まで見えているんだぁ、って感じで俺との違いが一目瞭然で判明する。
特にこちらの記事は、記号が逐一記録されている事に驚く。「ええっ!?? CAってこんなに沢山の種類の記号が使われていたの!?」と。素人が見ても、記号は全部同じにしか見えませんからね。
「⎛⎝⎞⎠系」「全部同じじゃないですかー」
「₋⁃⁻¯⁻⁃₋系」「全部同じじゃないですかー」
「﹁﹂」「どっちも同じじゃないですかー」
俺が見ても解る事って、「線には縦線と横線の2種類がある」というこの2つの違いだけですからね。段差一さんの記事で事細かに記号を解説されても、結局どこにその記号が使われているのか見えません!
見えている世界が違いすぎる。いや、確かに同じ画像を見ているはずではあるが、意識にまでは上ってこない。ザルで水を掬うが如く、掬った先からドボドボと零れていく。知識が無いと、意識にまでは届かない。
まだ良く解ってはいないが、こうして使っている記号の特徴を並べられると、確かに使う記号に製作者の個性が現れている。ここで更に、製作者が普段どんな記号を好んで使っているのかという知識があれば、運任せのギャンブルではなく論理的に答えを導き出せるだろう。
うん。無理。
俺には解らないという事が確かに解った。俺に出来る予想は、運任せのギャンブルだけですわ。因みに今これを書いている真っ最中に、また新しい解釈項の宝庫となるフレさんの記事も投稿されました。
ほう、記号だけでなく使っているツールにも個人を特定できる要素があるのか。うん、やっぱり無理。つーか使用されている作品多すぎィ! 益々解らなくなった事が解った。
とりえあえず「ヒツジさん」をコピペして、予想欄を全部ヒツジさんで埋めよう。そして俺にも「見える」くらい解り易い特徴が出ている作品や、CA以外の知識でアブダクションできる作品があったら、ヒツジさんの名前と入れ替えよう。
もしもなけなしの知識で全然見抜けなかった場合、ヒツジさんを60人くらい酷使する結果になるな。アカン、ヒツジさんが過労死するぅ! でもヒツジさんならそれくらい作れるっしょ。
でも一番多く作っているのがヒツジさんではなく別の人だった場合、その人は俺のこの予想の仕方を見てさぞやほくそ笑んでいる事であろう。チクショウ! その場合は俺の完全敗北だ! あなたの掌の上で見事に踊ってやろうじゃないか!
すっごく踊ってやるよ! 存分に愉悦しやがれこの野郎!
さて。こんな感じで今回の記事は終了しようと思います。
それでは、次回の記事までごきげんよう。