何故ポカメ氏は急激な成長を遂げる事ができたのか? -才能と努力の狭間の成長戦略-

何故ポカメ氏は急激な成長を遂げる事ができたのか? -才能と努力の狭間の成長戦略-

今回取り上げていくテーマは極めてシンプル。

 

「ポカメ氏の様に急激な成長を遂げる事は、他の人でも可能か?」

 

その答えはイエスでもありノーでもある。

 

(この何とも言えないたった一行の結論を導き出す為に、以下延々と解説を書くハメになってしまった。今回の記事は長いです。結論だけ知りたい方は、上の一言で事足ります)

 

こんなブログのこんなタイトル記事をクリックしている時点で、ポカメ氏の事を知らない人はいないでしょうから彼の紹介は省いても大丈夫ですね。コメ職人の情報を集めるアンテナがサビ付いて腐りかけている俺ですら、ポカメ氏の存在を新人時代から認識していたのだから、しかるをいわんや絶えずアンテナを張り巡らしている人達においてをや。

 

とは言っても、グーグル経由で記事に辿り着いた人が居るかも知れないので、一応書いておきましょう。ポカメ氏というのは、物凄い速さで成長し、物凄い製作スピードで作品を量産しているコメント職人です。

 

 

作品がニコニコニュースで取り上げられた事も度々あるので、名前を知らなくても作品を見たことはある、ってユーザーは結構いると思われます。「CAで血小板ちゃんの足を作った人」とか「CAで水を吐いているフグを作った人」と言えば解るかも知れません(逆に意味不明になっている感が否めませんが)。

 

この紹介だけだと歪んだ性癖を持つただの変態にしか見えないかも知れませんが、それは当たらずと言えども遠からずなので修正はしません。そして特筆すべきなのはその歪んだ性癖ではなく、成長速度と製作速度です。一言で言うと速い。二言でいうならメチャ速い。そりゃぁ、ボキャブラリーが幼児退行するくらいのインパクトがありますわ。

 

俺がポカメ氏を見て考えるのは、「何故あんなにも成長が早いのか?」という事。

 

「いやぁ、彼は普通の人とは段違いの天才だからできたんだよ」の一言で片付ける事もできるのだろうが、一足飛びで結論に辿り着き思考を放棄する態度は哲学的ではない。何よりも、「天才」なんて陳腐な一言で本人の努力を全て闇に葬る行為は、最大級の侮辱と考える。

 

なのでこの謎に対して、足掻けるだけ足掻いてみようと試みた。誰でも楽に真似できる物なのであれば真似して、あわよくば自分も同じくらい成長できるようになってやるぜグヘヘヘと目論んだ。そしてその謎を解く為のヒントが、ポカメ氏自身が書いたこちらの記事にちりばめられています。

早くCAが上達する方法

 

このブログに足繁く通っている人達なら、もう既に読んでいるだろうから内容は解かっていると思いますが、一応記事の要点を抑えたまとめを書いておきましょう。

 

 

 

 


ポカメ 2018年 冬

 

己の成長に限界を感じ 悩みに悩みぬいた結果

 

彼が辿り着いた結果(さき)は 漢字 であった

 

上手くなりたいのに数をこなさない自分への戒め

 

自分なりに少しでも遅れを埋め合わせようと思い立ったのが

 

一日一回 漢字のCA化!!

 

服を脱ぎ 拝み 祈り 構えて 作る

 

一連の動作をこなしてCAを作るのに 当初は1時間を費やした

 

一週間を過ぎた頃 異変に気付く

 

CAを作り終えても 1時間が過ぎていない

 

齢15を越えて完全に羽化する

 

製作時間 更に短縮

 

代わりに 服を脱ぐ時間が増えた

 

修行を終え コマテを降りた時

 

彼の製作スピードは

 

 

 

他の職人を

 

 

 

 

置き去りにした


 

―――とまあ、大体こんな感じ。

 

どうやったらCAを作るのが上手くなるのか? 「上手くなりたかったら、やってやってやりまくれ!!」としか書かないどこぞの脳筋野郎の記事と違って、ポカメ氏は「何をやれば良いのか?」までを示した極めて具体的な記事を残しています。ありがてぇ・・・・・・ありがてぇ・・・・・・。

 

そんな訳で今回の記事は、ポカメ氏が書いた記事をまさぐる様に隅々まで探索して、彼の成長の秘密を丁寧に読み解いていこうという内容です。手がかりとなるポカメ氏が書いた記事は短くて情報量は少ないですが、問題ありません。これだけの手がかりがあれば、読み解くことは充分に可能なのだよワトソン君。

 

ポカメ氏が書いた「何をやればいいのか?」を読み解いて、「何故それをやるのか?」まで掘り下げていく予定です。「何故?」が解れば、「何を」「どのように」やればいいのかは自ずと導き出されますから。

 

そんな訳で前フリはここまでにして、早速本編に入っていきましょう。

 

才能を伸ばす

まずポカメ氏の記事で取り上げたいのはこの文章ですね。

 

自分はまーさん(未だにまーくんと呼んでいいのかわからない)のエアーマンCAを見てCAに興味を持ったのが始まりでした。

 

ここから解るのは、ポカメ氏は才能をムリヤリ起こさせた側の人間であるという事ですね。俺が色々なコメ職人の話を聞いている内に思ったのは、自分の中に眠っているコメ職人としての才能を目覚めさせる方法は2つ。

 

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才能が目覚めるとき

ゆっくり起こすというのは、普通のコメントの延長で徐々に目覚めていく方法です。ニコニコのコメントを打ち続けている内に、「どうやったらもっと強力なメッセージを放てるか」「どうやったらもっと面白いコメが打てるか」「どうやったらもっと印象に残るコメントになるのか」と考えてCAに至る。

 

それに対してムリヤリ起こすというのは、他のコメ職人の作品を見た時のあまりの衝撃で、「何だこれはッッ!」「自分もこういうのが作れる様になりたい!」と考えいきなりコメ職人としての才能に目覚める方法。それまでコメントなんか殆どしなかった人間ですら、もうコメントの事しか考えられなくなる。

 

コメント職人というと、普段からCA以外のコメントもしまくっている人達と思うかもしれませんが、実際にはそうでもありません。HDA氏の学会発表や、ヒロス氏のブロマガでも示されている様に、普段は表に出て来ない(来られない)層が殆どです。

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参照

CGMの深化とコメントアート【2012年第2回ニコニコ学会発表資料】(2019/08//15 リンク切れ予定)

第2回ニコニコ学会βシンポジウム[DAY2]コメントアートセッション(1/5)

「コメントのおもしろさ」「CAのおもしろさ」

 

 

普段表に出て行けない層な訳ですから、中途半端にガス抜きされていないパンパンのエネルギーが、梅雨時期のダムの様に溢れ返っている。そのダムに先輩のコメント職人がとんでもない衝撃で亀裂を走らせる訳ですから、もう後は決壊までのカウントダウン。抑えるほうが難しい。

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ポカメ氏が普段コメントをしない層だったのかどうかブログからは解かりませんが、多分あまりしない層だったと思います。そうでなかったら、あの創作エネルギーをどこから確保してきているのか解からない。俺みたいなおっさんと違って、ヤングマンは常時エネルギーが溢れ返っているからというオチかもしれんが。

 

まあどっちにしろ、目覚める前からコマテに向かって一日中コメントと向き合う様な生活をしていない事だけは確かだ。目覚めてからのコメント量と比較したら、それ以前のどんなコメント量も無きに等しい。

 

コメント職人としての才能に目覚める瞬間。それはある日突然やってくる。

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ムリヤリ起こされた側の職人なら皆、「自分を目覚めさせた思い出の作品」がある。「この作品に出会ったからCAを始めた」「これを見たせいで、こっちの世界に足を踏み入れるハメになった」という作品が。それはもう、忘れたくても忘れられないインパクトを放っている。

 

勿論俺にもあります。そう、あれは忘れもしない・・・・・と言いたい所だが忘れた。仕方ないじゃない!だってその時はマイメモリーは勿論、コメント保持数の知識すら無かったんですよ。コメントはいつまでも残っている物だと思ってました。それはともかく、あんな素晴らしい職人さんの作品を見れる私は、きっと特別な存在なのだと感じました。

 

またあの歌詞が見たいと思って再び動画を訪れたら、職人のコメントが「なぜか」消えているし、今では動画そのものも消されているから一体何の動画だったのかすら思い出せない。

 

ただあまりのインパクト故、そこからひたすらコメント職人を追っかけ続けるようになったのは覚えている。しかしなかなか動画上で出会えない。「職人来てーーーー」と情け無い悲鳴を挙げ続ける日々に突如・・・・・・・・電流走る・・・・・・・・・っ!!

 

 

 

天啓・・・・・・・・っ!

 

 

圧倒的閃き・・・・・・・・・・・・っ!!

 

 

現状を打破する唯一の活路・・・・・・・・・・・っ!!

 

 

 

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参照(コメントアート職人をおススメするペニーワイズ

 

自分で作れば、いつでもどこでも好きな時に見れるようになる!! 今では私が職人さん。他の才能に目覚めても良かったはずなのに、幸か不幸か人生で何の役に立つのか解らんこんな才能が目覚めてしまった。

 

スタートの時点で夢中になっていたら、止めるほうが難しいし、成長するには必要不可欠。なにせ、何の成果もなく成長も無い時期ってのは絶対にやってきますからね。その時期でもなおコメントに取り組めるエネルギーがあるか否かはとてもデカァァイ説明不要。

 

大した上達もなく2ヶ月経ち全然CAが上手くならないので悔しかったことを今でも覚えています。

 

よくぞまあ、2ヶ月間も持ったものです。普通の人ならとっくに辞めている。因みにブログでこの文章を読んだ時は、凄く意外でした。それまでの俺の印象と全然違っていたから。それまでは、ハイペースで作品のリツイートが回ってくる姿しか見てこなかったから、順風満帆で苦労知らずの天才肌かと思っていたのですが、まさかそれ以前に鳴かず飛ばずの下積み時代を経験していたとは。

 

それでもCA制作が楽しかったのでやめなかったわけですが。

 

純粋に製作自体が楽しいか否かってのはとても重要。というか、これが無かったら成長するまでやり続けるなんて無理なんじゃないですかね。

 

仕事とか学業とかだったら「仕事なんてやりたくないけど食っていけなくなるから仕方ない」とか、「勉強しないと卒業できないし合格できないから仕方ない」とかで無理矢理やり続ける事が出来る。

 

しかし、CAで無理矢理やり続ける理由が一体どこにあるというのか? いや、どこにもありはしない(反語)。特に、キッパリ辞めても失う物が殆どないこの時期に、楽しい以外の理由でやり続ける理由が一体どこにあるのというのか? いや、どこにもありはしない(反復)。

 

「やれば出来る」「石の上にも3年」という言葉には一抹の真理が含まれているだろうが、前提条件を満たす事が出来ないので、この言葉は原理的に成り立たない。確かにどんな事でもやり続ければ出来るようになるのかもしれんが、やりたくない事をやり続けるなんてのは非現実的ですよ。まともな人間だったら3年も石の上に座れない。3年どころか1週間ですら怪しい。

 

「人間に不可能はない! どんな事でもやれば出来る!!」と言っている人達が、これからやりたくもない野球の練習をしてイチローと同じくらいの成績を残せるのであれば、この言葉を信じてもいいですけどね。夢中になってやり続ける事が出来るってのは、それ自体が才能なんですよ。これをひっくり返すと、才能とは夢中になってやり続ける能力の事である、という事が出来ます。

 

俺も昔は、やり続ければ誰でもコメ職人になれると考えていました。

 

しかし普通の人は、その肝心要の前提条件である「やり続ければ」を満たせないので、もう才能がある人しか出来ないという結論に落ち着いています。出来るのは才能に「目覚めてしまった人」だけです。そういう目覚めざるを得ない『環境』に居る人だけですよ。

 

才能の無い「普通の人」は、ひたすら独りで黙々とコマテに向かいあうなんて、苦行でしかない訳ですよ(個人的にはこれが一番楽しい時間だと思うのだけれど)。いや、そんな事よりもパパッとボタン一つで「職人スゲー」って賞賛されるツールをくれよと。それが才能の無い「普通の人」の発想です。なので続けれません。故に成長もしません。

 

それに対して、悔しい思いをしながらもなお、2ヶ月間やり続けれるポカメ氏がどれ程普通ではないかという話ですね。既に天才の片鱗が見えている。

 

 

 

循環に入って才能を伸ばす

やり続ける事が出来ると言っても、やった事に対して何の成果も報酬も無く、成長もしなかったら、流石にいつかはやめたくなってくる事でしょう。ポカメ氏は2ヶ月も続けられる程強靭な才能の持ち主でしたが。

 

やり続ける為、能力を伸ばす為には、循環の中に入ることが必要不可欠です。というか循環の中でしか能力は成長しない。どういう循環なのかは以下の通りです。

 

 

 

 

試しに「ちょっと」やってみる

やった結果何かが「ちょっと」成長する

今までよりも「ちょっと」いい結果が帰ってくる

その結果、益々やりたくなってくる(以下エンドレス)

 

 

 

 

何か行動を起こさなければ何も始まらない。別に大それた一大事業を起こす必要はありません。「ちょっと」何かをやってみればいい。世の中は原因と結果で成り立っています。何らかの「原因」となる行動を起こしたら、必ず何らかの「結果」が帰ってくる。すると今度は結果の方が原因に影響を与える。いわゆるフィードバックってやつです。

 

循環している環境下においては、一部を変えると全体に影響をもたらします。例えは悪いですが、小さな傷口から体内に毒が入った場合、血液の循環により身体の隅々にまで満遍なく毒が行き渡る所をイメージして貰えば良く解る事かと。

 

例えば、初心者なりに頑張ってCAを作ったとしましょう。それを動画に投下したら、何らかの反応は返ってくる訳です。ド素人の作品に「すっご~~い」というサーバルちゃん並の感想をくれる聖母に出会ったとしたら、益々CAをやりたくなってくる。

 

益々CAをやり続けるのだから、個人差はあれど少なからず成長して、上手くなっていく訳ですね。そして成長してクオリティの高い作品を投下したら、「もっとすっご~~い」というサーバルちゃんを超えた、スーパーサーバルちゃん並の感想がやってくるのだから、益々やりたくなって以下エンドレス。

 

 

とは言っても、他人から良いフィードバックを得られるかどうかは運に左右される。まだヘタクソな時期は、良い評価よりも悪い評価の方が得られる可能性は高いだろう。ボロックソに言われて心折れる可能性が無きにしもあらず。(ボロックソな評価の方が成長するには役に立つケースが多いが、成長する前に引退したくなったら元も子もない)

 

それに年々ニコ動全体のコメント数が減少しており、「コメント<マイリス」な動画が当たり前の時代に、コメントを貰えるってのはかなりレアな体験だ。マイナー動画に投下したらまず反応コメはこないと思っていいです。外部に依存せず自力で循環させる方法の方が大事だ。

 

自給自足で循環させる

自分がやったCAの筋トレはデカ文字のCAを速くかつ丁寧に作りまくることです。

 

まーくん氏の様な絵系CA職人に憧れるている彼が、どのような思考プロセスを経て、絵ではなく文字を作るという答えに至ったのか現時点では解りません。他のCA職人達があの記事を見て「あ~懐かしいな。ワシも若い頃は絵系を作るためにデカ文字を作りまくったもんじゃ」と共感しまくっているのであれば解るが、どうもポカメ氏しか思い至らない答えらしい。

 

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俺の力量と器では、彼の狂気を考察する事は出来ないし意味が無いが、この修行のもたらす効果なら示す事が出来ます。

 

文字のCA化で優れているのは、フィードバックが一瞬で返ってくる事です。つまり、自分がちゃんと上手く出来たのか、下手なのかが一瞬で解る。手書きでも、自分の字が綺麗か汚いかは一瞬で解りますね。更に言うなら、どこをどう直せば綺麗になるのかの「正解」もすぐに解る訳です。返ってきたフィードバックをすぐに反映させる事ができる。「自分は上手いんだ! 凄いんだ!」と思い込みたかったとしても、覆すことのできないヘタクソな「現実」が目の前にある。自分のヘタな所を自覚していなかったら、どこをどう変化させていいのか解らない。

 

文字CAを作り続けていた時のポカメ氏は、多分相当楽しかったと思います。楽しくなかったら1ヶ月も苦行を続けられないだろうという結果からの推測ですが、そうでなくても、毎日僅かでも上手くなっている姿が実感できるのだから、楽しくないはずが無い。

 

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小さな変化・成長の積み重ねで大きな変化に気付く。

 

毎日1時間ぐらいを1週間続けたぐらいで変わったなと実感できました。

 

「1時間」という主観が入り込む余地が無い、客観的な指標を掲げている所もグーですね。早く作れる様になっているのか、はたまた停滞しているのかを無慈悲なまでに知る事が出来る。自分は凄いんだ、あるいは全然凄くないんだとかいう「思い込み」に一切左右されない指標。成長を測りたかったら、客観的に測定できる物差しをしっかり用意する事。

 

行動し、成長するにはひたすらフィードバックの循環を廻し続ける事が重要です。循環が止まった時、行動は止まるし成長も終わる。止まるんじゃねぇぞ・・・・。新人なのに、何らかの結果が出るまで1ヶ月2ヶ月かかるような事にチャレンジしたら、循環が止まる。止まるんじゃ(ry。

 

1ヶ月とか2ヶ月かかって「うわぁ、全然駄目だ! やり直し!!」となった時に、果たして「ここが駄目だ」というフィードバックを反映させて作り直すだけの気力が残っているのか。失敗するなら一瞬で失敗しましょう。どうせ失敗する事になるんだから。まあ、良いフィードバックを殆ど受けない状態で1ヶ月2ヶ月もやり続けられる程CAが好きな人間だったら、もうそれだけでポカメ氏クラスのコメ職人になれる器でしょうけど。

 

初期値の僅かな違いが大きな違いをもたらす

ここまで才能を伸ばすという話をしてきました。才能と聞くと尻込みしたり、しかめっ面をしたりする人が現れるかもしれませんが、そこまで大げさな物は要求してません。

 

何も知らなかったのにwikiを見た次の日にはフルカラーの精密CA作っているとか、誰も思いつかなかった表現法を確立するとか、悔しい思いをしながら2ヶ月間もやり続ける程CAが好きとか、そんな才能は無くても大丈夫です。

 

確かに才能が全く無かったら「ちょっと成長する」の部分がゼロになるので、循環が起きません。ちょっと成長した結果、今までとはちょっと違う結果がフィードバックされるという事がない。昨日と同じ今日、今日と同じ明日。平坦でノッペラボーな日々が繰り返されるだけ。「やれば出来る!」という世の主張とは裏腹に、才能が無い事はやっても出来ないという不都合な真実があります。というかやり続ける事が出来ない。

 

しかし、僅かでも才能があるんだったら伸ばす事は可能です。

 

才能は「ちょっと」あれば充分です。周囲の他の人達よりも「ちょっと」上手い、「ちょっと」興味がある、「ちょっと」飲み込みが早い、「ちょっと」好き。この複雑な世界においては、その初期値の「ちょっと」の違いが大きな結果の違いを生み出します。複雑系の世界で言われるバタフライ・エフェクトってやつです。

 

とある音楽家が生んだ、一卵性双生児の話をしましょう。家庭の事情で双子は全く別々の家に養子に出される事になりました。片方は音楽家の家庭に、もう片方は音楽とは無関係な普通の家庭に。

 

そして双子が大人になると、片方は音楽家になり、もう片方は音楽とは無縁の仕事に就きました。なんだ当たり前の話じゃないかと思うかもしれませんが、音楽家になったのは音楽とは無縁の家庭で育った方の双子です。

 

ここら辺は順を追って説明すると不思議でもなんでもないですけどね。音楽家の家庭で育った方は、親も周囲も皆音楽が出来る人達ばかり。演奏できてもそれが当たり前だし、何千時間という練習の果てに「ああ、自分は他の子よりも上手くなったんだな」と実感できる。フィードバックが来るのが遅すぎなので、循環しないのです。

 

それに対して音楽とは無縁の家庭で育った方は、「ちょっと」練習するだけで周囲の人間が「お前、マジで演奏上手くね」と言ってくれる訳ですね。そして実際上手い。それで益々やりたくなってきて、循環が止まらなくなる。初期値は周囲の人間よりも「ちょっと」上手いってレベルでいいんです。その「ちょっと」で循環が始まる。

 

才能があっても循環が止まったら伸びなくなるのですよ。

 

かの有名なピアニストの「まらしぃ」もそうです。彼は9歳の時から知り合いのレストランで演奏していました。ピアノを弾くとみんなが喜んでくれるのが嬉しくて、ピアノを弾き続けていた。循環しまくっている時期ですね。もう弾きたくて弾きたくてしょうがない。そして中学生の時に、本格的にやった方がいいと薦められて、紹介された先生の所に習いに行く。

 

ところがその先生がガチのガチな先生で、「お前にショパンの何が解るんだ!」というすげぇパワーワードを中学一年生に放つ訳ですよ。いや、解んねぇよと。それが続いて先生と喧嘩別れして、音楽全般に対するモチベもどんどん下がっていき、音楽とは無縁の生活へ。循環がピタリと止まった瞬間です。

 

その後どうなったのかは、多分俺よりも読者のあなたの方が詳しいと思います。ネイティブフェイスを試しに「ちょっと」弾いてみた。いけるかもしれないと思って猛練習し、試しにニコニコにうp。他の人達よりも「ちょっと」上手かったし、「ちょっと」魅力的だったし、「ちょっと」人気が出た。するともう循環が止まらなくなって今では「ちょっと」の領域を遥かに越える世界へ。それでも本人は、「ちょっと弾いたから聴いてよ」みたいな軽いノリをいつまでも失いたくないそうです。

参照

まらしぃが明かす、クリエイターとしての信条「ニコ動に初投稿した時のノリは失いたくない」

ネット発の人気ピアニスト:まらしぃ「自分が弾きたいものを弾く、それが今の僕の信条」

 

 

初期値の違いは、とにかく「ちょっと」でいいんです。それで循環が始まります。

 

今この記事を書いている著者なんか、始めたばかりの頃は一人弾幕をやりまくって「うわぁ、これでボクも職人だぁ!」って大喜びしていた人間だぞ。

 

そんなの作って「俺スゲー、俺ウメー」って作る事の喜びを堪能していたのだ。他の人だったら、「これが職人? こんなショボイのよく人前に出せたなwww」と思う様な作品作って楽しんでいた。それで益々やりたくなってくる。

 

他の人よりも「ちょっと」コメントが好き。他の人よりも「ちょっと」作る事の喜びを知っている。その初期値の僅かな違いが、数時間コマテに引き篭もって満面の笑みを浮かべる様な変わり者を生む事になる。流石に今ではそこまでコマテし続ける体力が無いけれど(血涙)。

 

死ねば諸共で他のおっさん達も巻き添えにするが、今若い人達の憧れの対象になっているようなベテランコメント職人達も、始めたばかりの頃は他人のCAコピペしてたり、誰でも作れるような単純なCA貼って「うわぁ、俺すげぇんじゃね? いい所までいけんじゃね?」と自惚れながら大喜びしていた時期があるんですよ。きっと。

 

初めの一歩の循環はそれで起こしている。「巻き添えで黒歴史晒すのやめーやww」とおっさん達からクレームが来るかもしれないが、多分大丈夫だろう。だっておっさんだし。

 

おっさん達の黒歴史が、新人を守る盾として役立つ可能性がある。始めたばかりの職人って、晒し者にされて集団リンチを受ける機会が多々ありますからね。そんな新人を守る為に、老体にムチ打って少しはカッコつけてみるんだ年長者組。

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「ワシはまだ、ナウでヤングなイケイケなんじゃ!」と言いたいかもしれませんが、肩こりと腱鞘炎をこらえてコマテに向かっているならもう立派なおっさんです。諦めて。

 

自分で書いてて涙が出てくる様なおっさん談義はもう置いといて、成長して上手くなりたかったら、やり続けたくなる様な今までとは「ちょっと」違うフィードバックを敏感に察知して受け取るか、やり続けたくなる情熱があれば、個人差はあれど後は勝手に上手くなっていきます。

 

だからポカメ氏の様に、「あ、昨日よりも『ちょっと』上手くなったぞ」と実感出来る練習法は最高にいい。僅かな変化でもいいから、とにかく強引にでも循環させ続ける事。特に始めたばかりの頃は、大きく循環させるのではなく、沢山循環させる方が大事です。

 

周囲の人と比べて「ちょっと」上手い、「ちょっと」詳しい、「ちょっと」好き。スタート地点ではその程度の才能で充分です。因みにこの比較する周囲の人達というのは、上手い人、既に出来る人達と比べるのではなく、ふつーの人達と比べる事が肝心ですね。バットとグローブを買って貰ったばかりの野球少年が、自分とイチローを比較してどうすんだって話です。天秤に載せる重りとしてはあまりにも重過ぎる。

 

 

 

成長の個人差を生むのはメタ認知

やり続けているのであれば、個人差はあれど後は勝手に上手くなる。

 

ならばその個人差と言うのは何に由来しているのかというと、それは自己の有能と無能の区別をはっきりと認知できる能力に由来する。自分が認知している事を自分で認知する。この認知を認知する能力の事を、専門用語で『メタ認知』といいます。

 

この「メタ」というのは「高次の――」「超えた――」という意味です。専門用語の割には日常に溢れ返っているので、理解はし易いと思いますよ。

 

例えばマンガでよく突っ込まれる「メタ発言」。マンガの登場人物が、マンガの世界を超えて(メタ)、読者と同じ次元で無いと言えない発言をする現象をいいます。

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(メタ発言)

 

 

そんな感じで、メタ認知というのは自分を超えて、まるで他人事かの様に客観的に自分自身を認知する事をいいます。まるでビデオで撮影された自分を見ているかの様な感じで。あるいは、今の自分がキャラクターとして登場しているマンガを見ているかの様な感じで。

 

そして、このメタ認知が無いと能力は伸びません。

 

独学でやる場合は特にそうです。練習を何百時間、何千時間やってもあまり成長しないという恐ろしい事になる。自転車に何十年も乗ってきたオバちゃんが、長く乗っているという理由だけで自転車競技のチャンピオンになったり、サーカスのアクロバティックが出来たりはしませんね。

 

ここからは、メタ認知と能力の関係、そしてポカメ氏の秀でたメタ認知について解説していきましょう。

 

能力不足じゃ能力不足に気付けない

能力不足の人に能力改善の技術が欠けているのは、有能と無能の区別がつかないからです。自分は何を知っていて何を知らないのか? 自分は何が出来て何が出来ないのか? それが解らない。

 

このメタ認知と現実が大きくズレている現象の事を、発見者である心理学者のデイビット・ダニングとジャスティン・クルーガーにちなんで「ダニング=クルーガー効果」と呼びます。二人の研究によると、能力不足の人ほど自己の能力を過大評価する傾向にある。

 

例えば、面白くない人ほど自分にはユーモアセンスがあると思い込んでいるし、気の利かない人ほど自分は気の利いた人間だと思い込んでいるし、勉強できない人ほど自分は実は頭がいいと思っている。

 

武道や格闘技を学んだ事が無い人ほど、自分は暴漢に襲われても的確に急所を打ち抜いて撃退できると思っているし、授業中にテロリストが襲ってきても窓をブチ破って鮮やかに教室から脱出しその後一人でテロリストを制圧できると思っている。

 

「自分は絶対に自動車事故を起こさない!」と自信満々に語るのは、事故を起こす様な運転をしている人間なんですよ。

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因みにこの「ダニング=クルーガー効果」の面白い所は、この話を誰かにすると「あ~~いるいる。俺の周りにも、そういう勘違いした自惚れ野郎がいっぱいいるよ」と、まるで他人事かの様に話す事です。自分には当て嵌まらないと思ってしまう辺りが、この効果の正しさを証明している事になる。実は笑い話ではなく、耳が痛い話として聞くものなんですよ。

 

今俺は、シラフではとても書けないので大笑いしながらこの章を書いていますけどね。授業中にテロリストがやってきたら如何にして鮮やかに対処するかのシミュレーションしかしてこなかった俺の青春時代を何で思い出さねばいかんのだ。本当にそんな事態になったら、ビビッって小便漏らして終わりのクセして。シラフで書けるかこんなもんッッ!!

 

「無知な者は自分が無知だという事を知らない」というこのメタ認知と現実のズレは、少なくとも孔子やソクラテスの時代から変わっていません。なので有史以来の全人類が当てはまると思っていいです(全人類を巻き込んでいくスタイル)。

 

厳密に数値化して、客観的に測定しにくいユーモアセンスや優しさ等、言うなれば「言ったもん勝ち」の世界で自己評価が肥大するのは当然ですが、数学や論理学と言った否応なしに自分の正確な実力を突きつけられる世界においても、このダニング=クルーガー効果は適用される。

 

実際、この効果は学生達に論理学のテストを行い計測したものです。

 

学生達に論理学のテストを行い、自分の成績を見積もらせた所、能力の低い学生ほど自己の能力を過大評価するという仮説が立証されました。平均成績が下から12パーセントタイルの学生達は、自分の全体的な論理能力を68パーセントタイルと推定したのです。つまり平均よりもちょっと上。

 

次の実験では、最初のテストを受けて自分の成績を見積もった後に、他の学生達の解答を見た上でもう一度自分の解答を見直して、正解率を推測しました。成績が下位4分の1学生達は、他の優秀な学生達の解答を見た後でも、自らの成績の評価を誤っただけでなく、すでに高く見積もりすぎている能力評価を更に上げる傾向がみられたのです。

参照(NTT出版 「使える脳の鍛え方」)

 

成績上位者の解答をみてもなお、自分が間違っているとは考えない。セルと対峙してもなお、必殺のダイナマイトキックを炸裂させれば勝てると思っているミスターサタンみたいなコントが実験でも発生した訳ですね。

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これだと無能な人間はずっと無能のままでいそうな気がしますが、大丈夫です。その後の実験で、下位4分の1の学生達を2つのグループに分け、片方は10分間の論理的思考(演繹的推論の正確さを確かめる方法)の訓練を受け、もう片方は実験とは無関係の課題を受けさせました。すると訓練を受けたほうは、かなり正確に自分の成績を見積もれる様になったのです。

 

「自分は既に知っている! 何も勉強する必要が無い!」と思い込んでいる人に成長の余地はありません。だって直すところなんてどこにも無いのだから。適切なフィードバックを受けて、自分はあまり理解出来ていないと自覚する事が、成長への第一歩です。

 

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自他の力量を推し量る

ポカメ氏の成長の土台となり、圧倒的に秀でているスキルが、この自他の力量を推し量るスキルです。

 

まだまだみんなにおいつけないのでこれからもCA制作を頑張っていこうと思います。

 

上の文章を読んで俺が受けた印象は、極めてフラットでニュートラルな自己評価だな、という事でした。ここからは卑屈さも尊大さも感じない。世の多くの人達が自己を評価すると、卑屈(自己を過小評価し、他者を過大評価する)になるか、尊大(自己を過大評価し、他者を過小評価する)の両極端ばっかりですからね。

 

それに対してポカメ氏は、過小も過大もしていない。「1たす1は2ですよね」って感じで、昼下がりのコーヒーブレイクの時の様な平静さでただ事実を述べているだけ。ひょっとしたら先輩の顔を立てる為の処世術なのかもしれないが、多分それは無い。ポカメ氏が「まだまだ追いつけない」というのであれば、それは本当に「まだまだ追いつけない」からなのだろう。

 

一応そういう印象を受ける根拠は他にもあって、ポカメ氏は他者を神格化する事が無いんですよ。

 

1920 : ポカメ :2018/11/04(日) 23:45:00 ID: 88ku1WPp4G

でもHDAさんを神だからで片付けたくはない。というか片付けてはいけない。

参照 【コメント職人】コメントアート(CA)制作者&ファンの集い【歌詞職人】

 

 

神格化というのは、もはや人間では推し量る事が出来ないという状態の事ですからね。ポカメ氏はしっかりと、相手を推し量っている。なので、自分には絶対に到達できない領域だとも思っていない。神の領域ではなく人間の領域だ。ならば自分もそこに行ける、と。

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因みに上で引用した掲示板の文章はどういう文脈で語られた文章なのかというと、ポカメ氏がHDA氏の作品を評して語った文章です。ポカメ氏は本当はチャンピオンを打ち負かす番狂わせな作品が見たいし、神格化せざるを得ない「凄い作品」が見たい訳ですよ。

 

HDA氏にその「凄い作品」を期待していたのですが期待叶わず、「こんなのはまだ神の領域じゃない!」と手厳しく評価した文章です。

 

言わんとしている事は解るのですが、その希望が叶うことはこれからドンドン難しくなっていくと思われます。確かにHDA氏の成長は止まりません。他者からのフィードバックを受けた回数なら、トップクラスどころか2位をぶっちぎりで引き離してトップです。受けたコメントは10万20万なんて数ではないでしょう。循環を止めろといっても止められない程勢い良く、10年以上回り続けています。

 

しかしそんな成長が止まらないHDA氏の作品を見るポカメ氏自身も、負けないくらい成長しているので、どんな作品を見ても「理解の及ぶ範囲」に収まると思われます。他の人が見たら「神だ!」になるような作品でも。「神格化せざるを得ない凄い作品を見たい!」という期待が叶う事は益々難しくなっていきますね。

 

勿論凄いと感じる事はあるでしょうが、その時はニュアンスがガラッと変わるはずです。

 

「やっぱ神様はスゲーやwwwwww」という手放しの賞賛ではなく、

「人間って・・・頑張ればここまで凄い事が出来るんだな・・・・・」って感じに。

 

神様が「光あれ」と呟いた瞬間、世界が光で満ち溢れたかの如く、神様の作品というのは「作品あれ」とつぶやけば一瞬で作品が作れる物だと考える。神格化した手放しの賞賛ってのは、そういう事です。

 

まさか神様が舞台裏では、歯を食い縛りながらドロ臭い作業を積み重ねているとは思いもしまい。自分に実力がついてくると、その舞台裏の苦労が見える様になるので見える世界が変わります。ササッと手を動かすだけで作品が出来る訳ではなく、神様がどれほどの代償を支払ってその領域に辿り着いたのかが見えてしまうので、「スゲーwww」が「凄い・・・・・・」に変わる。「ゾクッ」とする様な感覚と共に。

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「神格化せざるを得ない凄い作品を見たい」という、ポカメ氏の期待に応える為にも、舞台裏が見えなくなるくらい頑張れ神様。止まるんじゃねぇぞ・・・・。止まった所見た事無いけど。仮にHDA氏が「もうコメント止めます」という発言をしたとしても、それは宮崎駿の「引退します」という発言と同義語ですからね。

 

やめるはずがないんですよ。死ぬまで創る事を止めない、というか、創り続けないと死ぬのがクリエイターという生き物だ。たとえニコニコが閉鎖したとしても、HDA氏は何かを創り続ける事でしょう。

 

 

自他の力量差が見える時

メタ認知によって自分の力量が解る能力と、他人の力量が解る能力。

 

これはどちらが先に身に付く能力なのかと言うと、自分の力量が解るのが先です。何故なら自分を測る時の物差しで他人を測定する訳ですから、自分の中に確固とした物差しが出来ない限り、他人を曖昧な物差しでしか計る事が出来ない。

 

自分でひたすら鍛え続けた期間があるからこそ、他人の力量が解ります。他人の作品を見て、これは10時間20時間頑張れば誰でも作れる作品なのか、はたまた1万時間2万時間の鍛錬の果てにようやく辿り着ける境地なのか、それとも始めてすぐの人でもちょこっと工夫すれば作れる物なのか。自分の中に確固とした物差しが無いと、この違いすら解らない。

 

自分が同じものを作るとしたら、どれくらいの時間や練習量が必要なのかを「かなり正確に」シミュレーションできるからこそ、相手がどれほどの実力を持っているのかも正確に解る。

 

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相手の実力が解るのも実力の内、ってのは少年格闘漫画における共通の認識ですね。強い奴ってのは、相手の立ち方や振舞い方だけで相手の戦闘力が解るのです。逆にザコキャラ(自己の強さを過大評価し、相手の強さを過小評価するキャラの総称)ってのは、全く力量差が解らず、自分より強いやつに絡んで舐めてかかってワンパンで倒されると言う重要な役割を担っている。

 

今回のこの記事は「CAブログなのにCA無ぇじゃ~~ん~~」というブックオフ状態の記事になっている(まあいつも事だが)。ここまでポカメ氏のCAを一切取り上げていないし、ここから先もメインで取り上げる予定はありません。何故そうなのかというと、俺がポカメ氏の絵系CAの力量を測定できないからです。解説できないんですよ。

 

自慢じゃないですけどね、俺は絵系CAに関してはレベル1の最下級戦士ですよ。そんな俺がレベル100とか200のエリート戦士と戦闘したら、自分の身に何が起こったのか理解する暇もなく、指先ひとつでダウンさ。

 

一応ゼーレの絵系CAを作った事ならあるから、レベル2か3はあるかもしれん。まあ「レベル=1」ではないかもしれんが「レベル≒1」にである事に変わりは無いですね。

 

そんな俺がポカメ氏のCA画像を取り上げながら解説したら、「すっご~~い」というサーバルちゃん並の感想しかでてきませんが読みたいですか? 勿論、視聴者の視点で語れる事ならいくらでもありますが、制作者の視点で語れる事なんて限りなくゼロに近いですよ。そもそも制作者じゃないし。

 

凄さが解っているのは、絵系CAをバリバリやり続けてきた側の人達です。

 

「俺があの領域に辿り着くには、始めてから3年もかかったというのに・・・・・」とか、

「5年間やってきた俺よりも4倍から5倍は速ぇぇぞあの製作スピードっ!!」とか、

 

俺みたいな普通の視聴者には見えていない世界が見えているはずです。「そっち側」の世界の凄さについては「そっち側」の世界の人達に任せます。

 

この温度差を特に感じたのは、最近の出来事で言えばヒツジ氏がCA無双をした時の出来事ですね。ヒツジ氏が、Vチューバーの絵系CAをなんとたった一日で5、6枚仕上げた事がありました。たった一日で・・・と太字で強調したはいい物の、実は俺はその本当の凄さが解っていません。

 

その様子を見た制作速度の相場を知らない俺は「CA職人がCA作るのは当たり前でしょ~。他のCA職人だって、頑張ればそんくらい出来るんでしょ~きっと」というサーバルちゃん以下の感想だったんですよ。

 

ところが、実際に絵系CAを「作れる側」の人達は、ネフェルピトーにトドメを刺すゴンさんを見た時のキルアと同じリアクションをしていました。

 

 

一体どれ程の代償を支払えば、あれほどの境地に・・・・・・・ッッッッッ!!!

 

 

 

――――とまあ、この温度差よ。以前の記事で俺は、本物を理解できるのは本物を理解できるだけの素養と教養を持った人間だけ、と書きました。

参照 「本物のコメント職人」を定義する

 

歌詞職人として必要最低限のコメントの知識はあるので、土台となる素養はあるのですが、その土台に載せる教養を持ち合わせていないので、絵系CAの本当の凄さは俺には解りません。

 

「作れる側」の人達がヒツジ氏に驚愕していたのは、自分で同じ事をやろうとしたらどれくらいかかるのか、しっかりとした物差しで測れるからです。「もしもワイが同じ精度の物をあれだけ作ろうとしたら、一日2時間のペースで5,6週間かかって・・・・。それをたった1日かよッッッッ!!」ってな感じで。自分がとことん強くなって初めて解る相手の強さ、ってのがあるんですよ。

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自分の中の物差しが明確になればなるほど、他人の凄さが解ってくる。

 

何かを制作するには、その世界独自のルール、独自の文法、独自の文脈に従って作るものです。それらを理解していない素人の俺には、力不足過ぎてポカメ氏の絵系CAを読み解きながらポカメ氏の凄さを語ることは出来ないのですよ。本当の凄さが解らないから。

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独自のルールや文法を理解していないとどういう事になるか。それを最近実感したのは、ozto氏の製作解説記事を読んだ時ですね。見た目がほぼ同じなのに、CAで簡単に作れる物と作れないものがあるんですよ。

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参照(自作の絵系コメントアートをものすごく細かく解説してみる

 

 

作れない上向きの曲線を作るには、一手間加える必要がある。

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ozto氏の記事を読むまでこの事を全く知らなかった俺が、上向きの曲線で作られているCAを見ても何も見えない訳ですよ。

 

しかしCA職人達が上向きの曲線を使ったCAを見た場合は、「この人、工夫して頑張ってるなぁ」という努力の跡までもが観える。「見える世界が変わる」ってのはこういう事です。同じ世界を見ているはずなのに、同じ世界が見えていない。

 

見えていない世界を解説する事は出来ないので、俺がポカメ氏のCAを読み解く事は出来ないのですよ。それはもう「考えるな、感じるんだ」という世界に行ってしまう。自身の感性に自信なんてありやしませんよ。

 

 

しかし―――――

 

 

文章だったら話は別だ。作品を読み解く事は出来ないが、文章を読み解く事なら俺にマカセロー! という事で今回の記事を書いています。

 

 

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ポカメ氏のあの記事を読んで、多くの人が見えていないであろう世界にご案内いたしますよ。

 

ポカメ氏の急激な成長の土台にあるメタ認知。どういう練習をすれば、ポカメ氏の様にメタ認知の精度を上げる事が出来るのかを、これから丁寧に読み解いていきましょう。ここから本題。今までのは本題の土台作りです。

 

 

目的のある練習をする

メタ認知の精度を上げるには、自分の行動に対するフィードバックを、逐一受け続ける必要があります。

 

「自分の事は自分が一番良く解っている」と反論が来そうですが、案外解っていません。

 

岡目八目(おかめはちもく)です。

 

岡目とは傍目とも書きます。読んで字の如く傍らに居る人の目です。囲碁をする時、傍らで見ている人達は、プレイしている当事者達の八目先まで見えている、というのが岡目八目の意味です。

 

主観で見える世界は限りがあるのですよ。サッカーの場合、フィールドでプレイしているプロの選手よりも、観客席で見ているサポーターの方がフィールド全体が良く見えるものです。

 

自分の事は案外良く見えていないから、代わりに目となってフィードバックを与えるのがコーチや監督の役割だ。「浮き足立っているぞ! しっかり腰を落とせ」「ガチガチに緊張して下しか見えていない。顔を上げろ」とか。言われてようやく ハッ と気付いてパフォーマンスを改善する事が出来る。(自身のパフォーマンスを認知していなかったら、パフォーマンスを改善させる事は出来ない)

 

名コーチや名監督が着任した途端、選手としての実力がメキメキ向上するというのは、何もスポーツ漫画だけの特権でなく、実際に起こり得るし、起こっている事です。さりげないフィードバックで選手の強みをとことん引き出す。

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コメントに関しても、自分の作品に対して適切なフィードバックをしてくれるコーチに出会えたら凄い勢いで成長するでしょうが、まあ無理ですね。そんな人をどうやって探せと言うのか。俺のアンテナが腐っているだけで、実は近所のピアノ教室みたいに『生徒募集中!!』の看板を出しているコメント職人が居るのか?

 

そもそも、コーチとして適切なコメント職人があまり居るとは思えないのですよ。

 

「やり続けていたら『いつの間にか』出来るようになっていた」とか、

『気付いたら』他の人よりも上手くなっていた」とかいう

 

「習うより慣れろ」の脳筋だらけの世界だと思っているので。俺が以前の記事で上手くなる方法を書いた時は、「やってやってやりまくれ!」という筋肉万能理論で全て片付けていたくらいだし。

 

俺の筋肉万能理論は、自分にはどんな知識や技術があり、どんな前提条件を満たしているから「それ」が出来るのかを、理解していない人間の発言ですわ(メタ認知の齟齬)。

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「こんなの方法論じゃないわ! ただの根性論よ!」「だったらやればいいだろッッ!!」

 

 

 

「オメーみたいな脳筋野郎と一緒にすんなww」と言われたら、これについてはゴメンとしか言いようが無いですね。コーチとして優秀な、教えるのが上手いコメント職人もきっと居るはずです。偏見で物を言いました。ごめんなさい、許してヒヤシンス。

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(それチューリップ)(ヒヤシンスどこ行ったの?)(そもそもヒヤシンスどこから来たの?)

 

周囲にフィードバックを与えてくれる『環境』があるのがベストなのですが、無いなら無いで大丈夫。そう、ポカメ氏ならね。

 

無いんだったら自分で環境を作ればいい。自力で効率的にフィードバックを得られる練習をすれば大丈夫。そう、ポカメ氏ならね。

 

以前の記事で、自身の作品について「視聴者の声をよく聞く事」が大事だとは書きましたが、それとは別にひたすら孤独にやる時間も、それはそれで成長するには必要不可欠なのですよ。

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では具体的にどういう練習をすればいいのかというと、それはただなんとなく練習するのではなく、心理学者のアンダース・エリクソンが言う「目的のある練習」をする事が大事です。

 

このアンダース・エリクソンというのは、天才とか超一流の人間を研究している心理学者で、そっちの世界では論文を引用されまくる有名人です。同じ事を愚直に繰り返す闇雲な練習は、一定の水準で頭打ちになる。エリクソンは、その頭打ちの状態を越えるのに必要な「目的のある練習」を提示しました。それについてこれから書いていきます。

参照 (アンダース・エリクソン『超一流になるのは才能か努力か?』)

 

天才や超一流と呼ばれる人達がやっていて、それらの人々を観察してきてようやく解る練習法を、ポカメ氏は誰にも教えられずに自力で辿り着いて実践していた辺り、やっぱり天才なんじゃないかと思っています。

 

 

1、目的のある練習には、はっきりと定義された具体的な目標がある

何故わざわざ「目的のある練習」と名づけているのかというと、多くの人がやっている練習には目的が無いからです。「ただなんとなく」やっている。やりたくてやりたくて仕方が無いってなら、ただやるだけでもいいのですが、上達する為にやるのであればそれでは駄目です。何の為にやるのか? という目的が必要。毎回どれくらいやればいいのかという具体的な目標。

 

具体的な目標が無かったら、自分はどれくらい上達したのか測定する事ができません。前に進んでいるのか、はたまた後退しているのかすら測れない。つまりフィードバックが発生しないのです。

 

「一生懸命頑張る」とか「いっぱいやって上手くなる」とかは、具体的な目標じゃないですよ。どういう状態になったら目標を達成したのかよく解らないですから。

 

それらの目標は「何の為に頑張るのか?」「上手くなるとはどういう状態になる事か?」等の問いが欠けています。問いから始める事はとても重要です。何故なら、学ぶことが出来るというのは、問う事が出来るという事を前提にした行為だからです。問う事が出来ないのであれば、何も学ぶ事はできません。教師が黒板に書いた事をひたすらノートに書き写していただけの授業で何かを学べた試しがありますか?

 

引用する順番がバラバラですが、ポカメ氏はブログの記事を問いかける事から始めています。CAが上達するとはどういう事か、の問いを読者に示しているのです。

 

言語化するのが難しいので皆さんが思う上達でいいです。

 

CAが上達するとはどういう事なのか? 読者に明文化はしてませんが、ポカメ氏は自分なりの「上達の定義」を決めています。そして目指すゴールを明確にすればするほど、そこに至る手段を見つけるのは楽な作業になる。

 

たくさんCAを作ったらCAは上手くなる。

 

ポカメ氏が定義する「上手くなる」の状態になる為には、沢山作ればいいという答えが出たみたいです。ならば次の問いは沢山作るにはどうしたらいいのか? という事。その為にはCAの筋トレをして、限られた時間の中で素早く効率良く作ればいいという答えが出てきました。その為に出てきた「具体的な目標」が以下の通り。

 

自分がやったCAの筋トレはデカ文字のCAを速くかつ丁寧に作りまくることです。

 

「速くかつ丁寧に」という具体的な目標が出てきました。

 

作るのが速いか遅いかは、正確に解りますね。昨日1時間で作れた難易度を、今日は1時間半かかっていたら遅くなっているし、30分で作れたら相当速くなっている。主観の入る余地が無い、無慈悲なまでのフィードバックが返ってくる。

 

次に、丁寧に作れたかどうかは、自分だけでも正確に解るものです。ブログ記事には、ポカメ氏が作っていた文字CAの一例が載っています。

 

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他にどんな文字を作っていたのかは解りませんが、この画像「だけ」から読み解けるのは、ポカメ氏が作っていた文字は「楷書体」であるという事。行書体や草書体の、いわゆる達筆ではない。

 

もしこれが草書体であったなら、出来たのがグチャグチャであっても、「味がある」「個性がある」とかで誤魔化せる訳ですね。「正解」が無い曖昧な世界ですから。

 

しかしそれに対して楷書体は、「これが正しい文字の形です」という正解がガチガチに固められた世界です。守破離の「守」の領域。自分勝手に「正解」を生み出す事は許されない。丁寧に書けたかどうかは、自分の書いた文字と「正解」を比較すれば、やはり無慈悲なまでに正確なフィードバックが返ってくる

 

ただやればいいという愚直な練習と違って、成長する為の練習にはフィードバックが必要不可欠です。ダイエットをする時、体重計を使わなかったら自分のやっている運動や食事は痩せる物なのか太るものか解らない。

 

自分は目標に近づいているのか、はたまた遠ざかっているのかの現実を、無慈悲なまでに突きつけられる具体的な目標を設定する事がスタート地点です。

 

 

 

2、集中して行う

やるべき事が決まったなら、次に大事なのは短時間に集中して行う事です。ただ単にダラダラと長時間やっても、あまり成長はしないですよ。超一流の人達は例外なく費やしてきた練習時間が膨大な量になっていますが、長時間練習しているからといって超一流とは限りません。逆は成り立たないのです。

 

やるべき事に集中していない練習を何千時間何万時間と費やそうが、成長はしませんから。ゲームでキャラのレベルを上げるのは、プレイ時間ではなく経験値なんですよ。経験値が増えない試験勉強を長時間やり続けても、成績は伸びないんです。うわぁ、自分で書いてて耳が痛ぇ。

 

とは言ってもこれは「効率良くやれば短時間でいいんでしょ」って話ではないのですよ。短時間でいいんでしょ、というよりも、あまりにもキツすぎて短時間しか出来ない、というのが正確な所です。

 

ここら辺は、超一流のマラソンランナーと趣味で走っているマラソンランナーの違いから見れます。

 

趣味で走っている人達は、走っている時の苦しさを紛らわせる為に、全く別の楽しい事を考えたり、周囲の景色を楽しんだり、音楽を聴きながら走ったりします。

 

それに対して、成長させる為に走っているプロのランナーは苦しさから逃げません。絶えず改善点を探してどうしたらいいのかを常に考えています。何故フォームが乱れるのか、どうしたら乱れない様になるのか。自分は今正しいフォームで走れているのか。今日調子が悪いのは何が原因なのか、何ですぐに右足が痛くなってくるのか、これからどうすればいいのか。考えるべき事、やるべき事が多すぎる。適当に楽しい事考えながらの、片手間でできる作業ではないのです。

 

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ここら辺が、ただやり続ける愚直な練習と、自分を成長させる為の目的を持った練習との明確な違いですね。成長させる為の練習ってのは、楽しくもなんともありません。むしろ苦しすぎて辛いです。

 

いや、楽しいっちゃぁ楽しいのではあるが、それは多くの人が思い浮かべる楽しさとはベクトルが違います。ゲームの楽しさにしても、リア充が「マリオパーティー」を何も考えずにワイワイやる時の楽しさと、ゲーム廃人が最高難易度でハイスコア更新を狙うときの楽しさは、同じ言葉であっても「楽しさ」のベクトルが150度くらい違っていますね。

 

今の自分ではクリア出来ない難易度を攻略するには、どこをどう改善したらいいのか、ひたすら仮説検証を繰り返して考え続けねばならない。脳がヒートして耳から煙が出る位の苦行です。まあ、その苦行を通して最適解を見出す作業がたまらなく快感だと言う人も居るのだが。

 

しかしそんな作業を楽しめるのは、自分を追い込む事に快感を覚えるドSか、追い込まれる事に快感を覚えるドMしかいないので、普通の人は苦しいとしか感じない事でしょう。

 

快感を覚える人と苦痛を感じる人の違いはあれど、どちらの人にとっても自分を成長させる「目的を持った練習」は消耗が激しいです。なので何時間も出来る練習ではありません。集中して短時間で完遂する必要があります。

 

毎日1時間ぐらいを1週間続けたぐらいで変わったなと実感できました。

 

ポカメ氏の場合は1日1時間でした。1日1時間であの成長なのだから、3時間やったら3倍の成長! 5時間やったら5倍の成長! になるかというと、そうはなりませんね。

 

長時間やって集中力が切れた状態で練習を続けても、頭が働かないし、何も考えずに出来るルーチンワークを繰り返すだけになってしまう。学習の対義語があるとすれば、それはルーチンワークこそ相応しい。ルーチンワークをしている時、人は新しい事を何も学んでいないという事になります。

 

ルーチンワークは「何も考えずにいつも通りのパフォーマンスを発揮する時」に必要な代物です。いつも通りのパフォーマンスじゃ駄目だから、考えて考えて考えまくって学習している訳ですね。「学習」する時は何も考えず、ではなく、しっかり集中して考えまくる必要がある。

 

しかし集中力についてもここで一言。

 

集中力は無条件でいい物だという神話は根強い。「集中力が無くて困っているんですよ」という悩みは聞けども、「集中力がありすぎて困っているんですよ」という悩みはあまり聞きませんね。

 

集中している状態ってのはどういう状態かというと、脳の一定の神経回路「だけ」に負荷をかけている状態の事を言います。普段は全体で処理している作業を、ごく一部に全て任せる訳ですから、消耗が激しいです。

 

更には、脳の一部分だけを使い続けると神経細胞の「閾値(限界値)」が上昇してパフォーマンスが低下します。神経細胞は、活動しているか休息しているかの2つに1つ。オフからオンに切り替える為には、神経に送る電気信号が一定の値を超える事が条件になるのです。

 

そのオン/オフの境界になる電気信号一定の値を閾値といいます。この閾値未満の刺激だと、神経細胞は何の反応も起こしません。眠ったままです。閾値が上昇するというのは、ちょっとやそっとの刺激じゃ何の反応もしなくなるという事。俗な言葉で言えば「慣れる」「飽きる」という事ですね。

 

付き合い始めたばかりの頃は、手をつないだだけで「脳が沸騰しそうだよ~」という位ドキドキした初々しいカップルでも、「慣れて」「飽きた」頃には手を繋いだくらいの刺激で電気信号が閾値を越える事はなく、脳は沸騰しません。眠ったままです。

 

作品を作っている時も、作り始めたばかりの時は「俺の作品マジ最高だ!」と思い込めても、何時間・何週間・何ヶ月と集中して同じ自分の作品「だけ」を見ていた場合、最終的には何も感じなくなりますね。

参照 直感のCAと熟考のCA

 

集中しすぎて物事に取り組むと、簡単に閾値が上昇して今までの刺激では足りなくなり、脳が段々と休止状態になっていきます。脳が休んでいる訳ですから、新しい事はあまり学べませんね。効率が悪いのです。

 

集中して高いパフォーマンスを維持できるゴールデンタイムはとても短いのですよ。その短い時間内できっちりやるべき練習をやり遂げる必要がある。ゴールデンタイムが切れたら、休憩するか脳の別の所を使うかして、しばらく刺激が全く行かない状態にしないと元の閾値に戻りません。

 

研究によると、高いパフォーマンスを維持できる集中状態はプロスポーツ選手でさえ、1時間から1時間半程度です。しかるをいわんや我々凡人においてをや。

 

自分のゴールデンタイムが何分くらいあるのかを知るのは実は簡単で、飽きてやる気が無くなったらそこで終了です。そこから無理してやり続けても、パフォーマンスは低下しているし効率がドンドン落ちていく。「飽きる」というのは、脳が疲労した時に発する最初のシグナルです。疲労には三段階のシグナルがあるのですよ。

 

それが、「飽きる」 → 「疲れる」 → 「眠くなる」 の三段階です。

 

脳の一部だけを使い続けて脳が疲労してくると、「ちょっと休ませてくれ」という事で脳は「飽きた」というシグナルを送ります。このシグナルを無視してやり続けると今度は「疲れた」になり、最終的には「眠い」になる。

 

これらのシグナルは「これ以上ここの脳細胞を使わないでくれ!!」という脳からの緊急警報です。眠気をこらえてボーッとしている時に脳が働いてないのは実感できると思いますが、飽きてやる気がなくなっている時も同様に、脳の働きは低下しているのです。

 

だから飽きてきたら、ちょっと休憩を取ったり、別の作業をする事がパフォーマンスを向上させる事に繋がります。脳のシグナルをガン無視して、飽きた時に「もっと集中しろ!」というブラック企業の様な精神論で乗り切るのは逆効果ですね。

参照 (梶本修身「すべての疲労は脳が原因」)

 

やるべき事に集中しないと、たいした進歩は望めません。そして集中して本腰で挑める時間というのは、恐ろしく短い。目的のある練習は、集中できる短時間の内に、キッチリやり遂げる必要があるのです。

 

 

3、フィードバックが不可欠

フィードバックの重要性については、ここまで散々書いてきましたね。

 

フィードバックが無かったら、どこをどう修正していいのか解らないし、できた「つもり」になって満足してしまう。

 

フィードバック無しに何かを成し遂げる事の難しさは、簡単な実験で実感できますよ。

 

やる事は何かと言うと、目を瞑って片足立ちで立ってみて下さい。目を開けた状態で片足立ちをするのであれば、バランス感覚が苦手な人でも数分は立っていられる事でしょう。むしろ障害となるのは、いつまでやってりゃいいんだという「飽き」にどれだけ耐えられるかですね。

 

ところが目を瞑って片足立ちになった途端、難易度は急上昇します。普通の人は30秒と持たないでしょう(著者は14秒でした)。1分とか1分半とか立っていられるのであれば、一流のアスリートクラスですね。よっぽど優れた三半規管(体の傾きをフィードバックする耳の奥にある規管)を持っていないと出来ない業ですから。

 

目を開けて片足立ちをしている時は、絶えず視覚からのフィードバックを受けています。姿勢がちょっとでも傾いたら、見える景色も傾いて「体が右に傾きすぎている。左に戻せ!」って感じで絶えず微調整の指示が脳から送られる。その微調整を繰り返しているから、片足立ちでも立ち続ける事が出来るのです(しかも無意識の内に!)。

 

その視覚からのフィードバックが無くなった途端に、自分は真っ直ぐ立てているのか傾いているのかも解らなくなるので、立ち続ける難易度は段違いになります。

 

耳を塞いで楽器の演奏をしたり、一切味見をせず料理を作っていたら、上達は覚束ない。フィードッバックゼロで何かを学ぶのは難易度が高すぎる。

 

就職活動にしても、お祈りメール一通ではなく、「君はここが駄目だから我が社は採用を見送った」とか「君のここが決め手になって採用した」というフィードバックが全て返ってくれば、得体の知れない武勇伝や出所の怪しい情報に振り回される事なく、自力で採用されるだろうに。

F1レーサーとか空軍パイロットみたいに、些細なミスが死に直結する世界に生きている人間だったら、ミスをしたり自分の技術が低下した時は全身がヒヤリとする感覚と共に解ってしまう。

 

しかし我々普通の生活をしている人間は、そこまで過酷な環境で生きていませんね。勉強した「つもり」になって試験で良い点が取れなかったとしても、流石に命は取られまい。

 

しかし成長する為には、やったつもり、出来たつもりでは駄目なのです。本当に出来たのか? 出来ているか? 自分の苦手な部分はどこなのか? 成長が遅いのはどの部分か? というのを厳しくチェックし、フィードバックを得て改善する必要がある。

 

ただ成長するのではなく、ポカメ氏の様な「急激な」成長を望むのであれば、必要なのはやったらすぐにフィードバックを得られる練習をする事。今の自分が乗り越えるべき「現実」を、否応無しに突きつけられる練習を。

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ニコニコでゲームプレイ動画のシリーズを見続けていると、シリーズを通してうp主がメキメキ上達していく様を見れる事が多いですね。

 

何でそうなるのかというと、編集中に自分のプレイしている様を客観的に眺める事になるからです。自分で見てて恥ずかしくなるようなグダグダプレイや判断ミスを、否応無く見せ付けられる。編集中に見てて恥ずかしくなってきましたと語るうp主は、一人や二人ではありません。

 

「プレイしている時の俺は、こんな事を考えながらプレイしていたんだな」と自己を客観的に眺め(メタ認知)、「次からはこうしよう」という課題を自分で見出す訳ですから、回を重ねる事に上手くなっていくのは当然なのです。自分で撮った動画を自分で見返さないうp主はこの限りではありませんが。

 

4、居心地の良い領域から飛び出すこと

目的のある練習で一番重要なのはここかもしれないですね。今の自分が居る快適な領域から何とかして飛び出すこと。

 

どんな事であれ、やり続ければそれなりに出来る様になりますよ。かつては歯を食い縛ってようやく出来た事でも、慣れれば今日の晩御飯のメニューを考えながら片手間でスラスラと出来る様になる。

 

こうなった時が一番の危機なのです。ルーチンワークで何も考えずに出来る様になった時が。

 

上達するとは、今まで出来なかった事が出来る様になる現象を言います。なので今出来る事をひたすら繰り返しても、そこに上達はありません。

 

ピアノを30年間弾き続けたと言っても、同じ曲だけを30年間弾き続けていたのであれば、上達してないどころかむしろ下手になっている可能性すらある。

 

エリクソンの著書には、その証拠となりうる論文が紹介されています。勤続20~30年の医師達は、学校を卒業して2~3年の新米医師とくらべて、一部の客観的なパフォーマンス指標で劣っているという研究結果が出ている。医師が日常行っている業務は、能力の向上は勿論、維持する事にも繋がらないのですよ。日常業務には、医師を快適な領域の外へ追い立てる難しい課題は殆ど無いのですから。

 

上達したいのであれば、難しい事、出来ない事、新しい事を歓迎する姿勢が必要です。

 

なぜ文字のCAを作ったのかですが、それは文字は形が複雑で種類もたくさんあるからです。

 

文字は形が複雑。つまり作るのが難しい訳ですね。「一」とか「十」の漢字だったら俺でも簡単に作れそうな気がするが(※ダニング=クルーガー効果)、「憂鬱」とか「檸檬」とかの漢字は相当な技術を要求される事でしょう。文字のCA化は、自分の実力に応じて適切な難易度を選び放題という素晴らしい練習ですね。

 

更に言うと、文字には種類も沢山ある。同じ事をやり続ける事にもならない。もしポカメ氏が同じ文字「だけ」を作り続けていたとしたら、たいした成長はしていない事でしょう。

 

快適な領域から抜け出し、自分に負荷をかけ続ける事によって成長するというのは、ドラゴンボールを読んでた世代ならドンピシャで解る事かと。全部で100キロもする重い服を着て動くとか、10倍・100倍の重力の中で動くから、急激な成長を遂げる事が出来る。

 

そしてそれをやり続けて快適になってきたら今度はそこから離れて、また新しい領域に飛び出す時です。

 

1ヶ月くらいでやめましたがその1ヶ月で自分のCAがだいぶマシになって、しかも速く作れるようになりました。

 

もう十分本来の目的(文字ではなく絵系CAを作る)を果たせる力が身に付いたと思ったのか、これ以上この練習をしても学べる事は無いと思ったのか、あるいはその両方か。

 

どちらにせよ、スラスラと鮮やかに出来るまで上達したのであれば、その練習から学べる事は少なくなっていきます。ドラゴンボールでも、スーパーサイヤ人くらい強くなってしまうと、もう10倍程度の重力では何も感じず全然修行にならないんですね。両手両足に計40トンの重りをつけてようやく負荷がかかる位だ。

 

1ヶ月の修行により、ポカメ氏はコメント職人を超えたスーパーコメント職人になってしまったのですから、文字CAを早く正確に作る程度の負荷ではたいした修行にならなくなってしまった物と思われます。

 

そうなったら次はまた新しい練習を考える時です。その後ポカメ氏がどんな事をやったのかというと、解るのはひたすら絵系CAを作り続けて、実戦で鍛え続けたという事だけですけどね。その結果がどうなったのかというと、

 

 

これが

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こうなる

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参照 2018年のCAまとめ(ポカメ)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

・・・・・・・・・・・深夜のテレビショッピングですら遠慮するレベルだぞこりゃ。

 


「ハーイ、どうしたんだいマイク。そんなに暗い顔をして」

 

「聞いてくれよジョニー。CA職人になりたくて毎日頑張っているんだけど、全然上手くならないんだ」

 

「そうか、安心するんだマイク。この新発売の『ポカメ式メソッド』があれば、君の悩みはたちまち解決さっ!!」

 

「ほわっつ? 一体なんだい、その新発売の『ポカメ式メソッド』というのは?」

 

「上の2つの画像を見てくれ。これこそ、『ポカメ式メソッド』が君にもたらす効果さっ!!」

 

「Oh----! アンビリーバボーッッッッ!!」


 

マイクだけでなく、視聴者全員がアンビリーバボーですね。こんなの詐欺に決まってるじゃんと思って、今すぐ注文すればどんなガンコな汚れもたちまちピカピカになる新発売のアメリカンクリーナーが2個付いてくると言われても、買う人はまず居ないだろう。

 

このミッシングリンクの間に何が起きていたのかはまだ解らない。解り次第、追って報告する!

 

文字CAを作り続けて文字が上手くなるのは、素人の俺でも良く解るんだ。

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ホント、凄く綺麗な字を描きますよね。複雑な文字を正確にトレース出来る技術があるのだから、複雑な絵も正確にトレース出来るのは当然だ、って解釈でいいのかな。教えて偉い人。

 

何にせよ俺が解っている事は一つ。ポカメ氏がここまで成長する事が出来たのは自分に高い水準を要求し続けてきたから、という事ですかね。今の自分が出来る事に満足し、出来る事のルーチンワークを繰り返しているだけだったらここまで成長していませんから。

 

自分なりのやり方や作風が固定化されてきたベテランになってくるほど、成長するのは難しくなっていく。それでも上達しているベテランのコメント職人というのは、今の居心地のいい領域から飛び出して、新しい世界に飛び出す精神に溢れていますよ。一定の段階で頭打ちになる人と、成長を続ける人の分かれ道はそこにある。

 

 

 

ポカメ氏が示すアルゴリズム

さてさてさて。

 

ここまで紆余曲折の道程でしたが、ようやく最初の問いに帰る時がきました。

 

「ポカメ氏の様に急激な成長を遂げる事は、他の人でも可能か?」

 

ポカメ氏と同じ練習をすれば、ポカメ氏と同じくらい成長する事が出来るのか? それに対するポカメ氏の回答は以下の通りです。

 

人にはそれぞれに合った上達法があると思います。ここに書いたものはポカメなりの上達法です。

 

人には一人ひとり個性があり、好き嫌いがあり、得手不得手があります。だからポカメ氏と全く同じ資質を持った人なら同じくらい成長するでしょうが、そうでないなら必至で長年頑張っても足元にも及ばないという事が、普通にありえる。

 

ならばそのポカメ氏と同じ資質を持ったごく一部の人にしか、ポカメ氏の記事は役に立たないかというと、そんな事は無い。あの記事には、ポカメ氏が「上達法」を導き出す為に使ったアルゴリズムがしっかりと示されています。そのアルゴリズムを丁寧に読み解いていこうというのが、今回の記事の内容だったんですよ。

 

アルゴリズム。どっかで聞いた事があるけど意味は良く解らんという言葉の代表格ですね。

 

アルゴリズムというのは、問題を解くための手順を、定式化した形で表現したものを言います。こうして抽象化して説明してもやはり良く解らんままですが、アルゴリズムというのは身近な所に溢れています。あなたもアルゴリズムを日常的に使って使って使いまくっているはずですよ。

 

例えば平均値を求める時。

 

問題:「3」と「9」と「18」の3つの数の平均値を求めよ。

 

スラスラと暗算が出来るかどうかはともかく、小学校を卒業できた人なら上の問題の答えは「10」と簡単に導き出せた事と思います。何故自力で答えを導き出す事が出来たのかと言うと、それは平均値を求めるアルゴリズムに従った結果です。

 

あなたの脳内で使われていたアルゴリズムを言葉にして解説すると、以下の様になりますね。

 


平均値を求めるアルゴリズム

 

ステップ1:n個の数を全て足す

 

ステップ2:ステップ1の和をnで割る


以上。

 

このアルゴリズムを知っていて、そのアルゴリズムに従っているからこそ、3個の数の平均値だろうが、56個の数の平均値だろうが、1万個の数の平均値だろうが、お構いなしに正解を導き出す事が出来る。

 

計算問題をする時、答えを丸暗記してもあまり意味は無い訳ですよ。その場合、全ての問題を暗記しないと全ての問題が解けないという不毛なやり取りをせねばいけなくなる。

 

そうではなく、学ぶべきは自力で答えを導き出す為の一連のステップ、つまりアルゴリズムを学ぶ必要があります。アルゴリズムがあるからこそ、未知の問題でも自力で解く事が出来るのです。

 

ポカメ氏がやった事と全く同じ練習をするというのは、計算問題の答えを丸暗記するに等しい。ポカメ氏と全く同じ問題を解決したいのであればそれで解決する事もあるでしょうが、そうでない場合は多分解決しませんね。

 

ここでは基本的に絵系CAを早く上手くなる方法をお教えします

 

ポカメ氏自身も述べているように、ポカメ氏の上達法は絵系CAに限定されています。しかし絵系だけに独占させるのは勿体無い。あわよくば俺も学べるだけ学んでやるぜグヘヘヘという邪な動機で、何とか活用できる方法を考えてきた訳です。

 

その為に何をやるべきなのか? 自分が何をやるべきなのかは、自分が何を目指しているかによって変わる物です。自分という人間を見極めないと(メタ認知)、猿真似しか出来ないおサルさんになってしまう。せめて人間らしく。

 

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学ぶべきは答えではなく、答えを導き出すアルゴリズム。ポカメ氏が記事で示したのは「急激な成長を遂げる為のアルゴリズム」です。

 

もしもあなたが、「どうしても短期間で一気に成長する必要がある!」という時には、きっと力になってくれる事でしょう。そんな状況に追い込まれるほど自分を追い込むポカメ氏クラスの変態が、一体どれ程いるのか怪しいですが。

 

もしあなたが急激に成長したいのであれば、急激に成長する為の練習をする必要があります。

 

じゃあ具体的にどんな練習をすればいいの? と思うかもしれませんが、それは貴方が自分自身で答えを見出さなくてはいけない物です。「貴方」の個人的な問題を解決できるのは、「貴方」しかいないのですよ。「他人の」答えを丸暗記しても、「自分の」問題は解決できない。

 

自分なりの「答え」を発見するには、かなりシンドイ道程を歩む必要が出てきます。ポカメ氏は、悔しい思いをしながら2ヶ月間も歩み続けました。

 

そして成長のアルゴリズムに従って自分なりの上達法を見出せたのであれば、ポカメ氏の様な急激な成長を遂げる事は可能になります。その意味において、ポカメ氏の様な急激を遂げる事は可能かという問いは、イエスでもありノーでもある訳です。

 

これは一例ですのでこれを参考にしてもしなくてもいいので、自分なりの上達法を見つけてもらえると嬉しいです。

 

「自分なりの上達法」は自分で見つけなくてはいけない訳です。見つけたらポカメ氏は大喜びするそうなので、もういっその事アヘ顔でよがった顔が戻らなくなるまでとことん喜ばせてみたらいいんじゃない。

 

オーケー、よがらせるためにとことん参考にしてやろうじゃないか。

 

アルゴリズムによるチェック

何が正解なのか解っていればいいのだが、解っていないから考える訳であり、どうしても場当たり的な思いつきにならざるを得ない。

 

しかし、場当たり的な適当な思いつきでもいいから、「こうすれば上手くなるんじゃね?」という自分なりの練習が思いついたら、アルゴリズムに従って、「yes」 or 「no」でチェックしてみて下さい。

 


1、その練習は成し遂げるべき目的がはっきりと定められているか? 厳格な物差しで結果を測定できるものか? yes / no

 

2、その練習は短時間で集中して一気に完結できるか? 結果が見えるまで何週間何ヶ月もかかる練習ではないか? yes / no

 

3、主観的な思い込みに左右されない適切なフィードバックが「すぐに」得られる練習か? yes / no

 

4、今の自分でも簡単に出来るルーチンワークになっていないか? 今の居心地のいい領域から抜け出す練習か? yes / no


 

「練習をやってもやっても全然上手くならないよ~」という時は、自分がやってる練習を上のアルゴリズムに従って事細かにチェックしてみましょう。でも出来る事なら事前にチェックしておきたいですね。

 

1ヶ月2ヶ月と練習を頑張り続けた後に「うわぁ、全然上手くなってない。この練習は駄目だ!」と気付いたら中々の悲劇です。(ろくな成果も無いのに1ヶ月2ヶ月続けられるならポカメ氏クラスの才能の持ち主だと思いますけど)

 

上の4つに全てyesと応えられる様な練習であれば、相当な効果を期待できます。GOサインを出してやってみましょう。

 

逆に一つも満たさないのであれば、ちょっと足を止めて欲しい。ノコギリで沢山の木を切り倒したかったら、いきなり木を切り始めるのではなく、数分程度の時間をかけてノコギリの刃を研いだ方が結果として早く切り終わる。さっさと終らせたかったら、さっさと始めてはいけないって状況があるんですよ。

 

上の4つの内、一つも満たしていないのであれば、それは錆び付いてボロボロのノコギリで木を切り倒すようなもの。凄い疲れる割にはたいした成果を上げられない。アルゴリズムに従って別の練習法を考えて見ましょう。

 

ポカメ氏自身が上達した練習方法は、ブログ記事にしっかりと書かれています。エースコンバット風に言うのであれば「ここまでは教科書にも載っている」って所ですかね。ここから先は、あなた自身が自分なりの上達法を見出して、あなた自身が教科書になるんですよ。

 

参考:俺のケース

唐突ですが、ポカメ氏のアルゴリズムに従って、俺が今まで自分の歩んできた道程を振り返ってみたんですよ。

 

そしたら、ハッ! と気付いて膝を打つハメになりました。俺が物凄い勢いで成長していた時と、全然成長していなかった時の違いが上手く説明できる。

 

俺がめっちゃ成長していた時というのは、上記のチェックポイントの半分以上を常時満たしていましたね。

 

コメ職人の世界では、コマテで製作・投下練習を経てから本番投下に挑むのが定石です。

 

しかし俺が歌詞をやり始めた時は、その場で歌詞を作ってその場で投下するという、ぶっつけ本番の荒修行をしていました。コマテなんて余計なワンステップを挟んでいられない。もう今すぐ貼りたくて貼りたくて仕方が無い状態だったんだから。

 

以前にこの話をしたら、コメ職人をフォローしまくっている自称「コメ職人に詳しく理解のある一般ユーザー」から「そんなコメント職人居る訳ねーだろ!!」と嘘松扱いされた事があった。どこにも居ない? 居る居るメッチャ居るここに居るっつーの!! 

 

あなたは知らないでしょうが、俺はそういう荒修行を経た歌詞職人は他にも数人居る事を知っていますよ、と言っても信じないんだろうな。

 

コマテで作るときは、修正したり、構成を考えたり、練習する時間が必要だからとても時間がかかります。しかしぶっつけ本番でやっている時は、修正も構成も練習もあったもんじゃない訳ですから、完成するまでメチャクチャ早かったです。

 

「よしやろう!」と思ってから完成するまで、僅か3~6時間。1ヶ月2ヶ月コマテに引き篭もってようやく一つ完成させられる今の自分とは次元が違う。マジでチーター型と言わんばかりのチーター型。

 

一瞬で結果が出る上に、人が集まる人気動画に投下していたので視聴者からのフィードバックも一瞬で来ました。歌詞を投下してから1日以内どころか、数時間以内、最速は投下中、歌詞に対する評価が返ってきた。まあ、ボロックソに言われた回数の方が圧倒的に多いんですけどね。

 

居心地のいい領域に留まるどころか、サッサと抜け出してーよこんなボロックソに言われる所、と思っていたくらいだ。ほら、もっと、こう「キャー職人さん凄ーい」とか「職人乙!」的なコメントを期待していたのに、ここに書くのがためらわれる辛らつなコメント。

 

それでもCA制作が楽しかったのでやめなかったわけですが。

 

解る! 解るぞポカメ君!

 

確かに俺にとって一番楽しいのは制作の時間である。だから制作さえ出来れば幸せだと意地を張る事も出来るが、それにしたって、ほら、もうちょっと優しいコメントに迎えられても・・・・・・。

 

とにかくそこから飛び出る為に必死で足掻いていた。絶賛されている他の歌詞職人のマイメモリー必死で集めて、自分の歌詞と見比べて、一体この職人と自分の何が違うのか考えまくって仮説検証の日々。

 

これらアルゴリズムに従った実戦練習を繰り返していたので、急激に成長しました。

 

これはあくまで俺がやった事であり、あなたが抱えている問題の「正解」ではありません。ですがこれを参考に何か上達法を見つけてくれたのであれば、俺はパソコンの前でMPが下がる踊りをして喜びます。

 

逆に成長が伸び悩む時期というのは、これらの条件を満たしていない練習をしていた時ですね。

 

出来る事が増える様になってくると、コマテに引き篭もる時間がドンドン長くなっていくんですよ。色々凝ったものが作りたくなってくるので。

 

「よし作ろう!」と思ってから、投下して視聴者のフィードバックを得るまでが遅くなるので、今の自分が上手くなっているのか下手になっているのか良く解らない。ひょっとしたら自分しか素晴らしいと思わない独りよがりな歌詞なのかもしれない。

 

ここら辺がポカメ氏がやった練習と歌詞の大きな違いで、歌詞って「正解」が無いんですよ。

 

ポカメ氏がやった「楷書体」のCA化は、「正解」が明確に示された練習法でした。だから自分が正解から外れた時は一瞬でフィードバックが返ってくるし、どこをどう直せばいいのか一瞬で解る。

 

それにたいして歌詞は、動画の文脈にモロ左右されます。「正解」なんてありません。

 

評判が良かった表現方法を別の動画に投下したら、全く別の評価になるという事が普通にありえる。意味は文脈によって変わるものです。美人のねーちゃんが「あの人絶対におとしてみせるわ」と言うのと、吉田沙保里が「あの人絶対におとしてみせるわ」と言うのでは、同じ言葉でも意味が全く違いますね。

 

作っている歌詞が目的の動画でウケるかどうかは、やってみなくちゃ解らない。色んなカテゴリーの色んなジャンルの動画で投下した経験がある人なら、事前にある程度精度の高い予測が出来るのだろうが、そんな経験が無い初期の内はあまり時間をかけない方がいいです。初心者は時間をかけても「正解」なんて解らないのだから。

 

サッサと投下してサッサとフィードバックを得なくては、「急激な」成長は難しいですね。自力で出来る事は限られるのです。

 

それと、居心地のいい領域に留まると一気に成長が止まります。止まりました。

 

上手くなってくると、得意技というかテンプレというかパターンが出来てくる。悩まずにスラスラ出来る様になるという点においては望ましいのですが、成長という点においては望ましくないですね。

 

「水はひび割れを求める」の如く、毎回毎回その一番楽で快適にできるやり方に導かれてしまう。そうなると後は単なるルーチンワーク。

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藤子・F・不二雄ミュージアムには、先生の直筆の手紙が展示されています。おそらく死期を悟ったであろう先生が、スタッフに遺したメッセージです。

 


漫画家がベテランになってくると絵やアイディア創りのコツが解ってきます。

 

この時が一番の危機なのです。

 

ついつい楽に仕事をしようとする。

 

こうなるとあっと言うまにマンネリの坂を転げ落ちることになります。

 

自戒の意味もこめて言うのですが、漫画は一作一作初心にかえって

 

苦しんだり悩んだりしながら描くものです。

 

お互いガンバリましょう。


 

同じ趣旨の事柄を、漫画家に向けても語っている。新人漫画家(のむらしんぼ先生)が、小学館の飲み会で藤子先生に直に教えを請うという暴挙に出たのだ。神をも畏れぬ所業。

 

漫画を描くのが苦しくて苦しくて仕方が無い! いったいいつになれば楽に描けるようになるんでしょうか、と藤子先生に訊く。

 

これに対する先生の回答は以下の通り。

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20数年やっても楽にならない。なんという修羅の道。

 

人がどの程度まで成長するのかの上限は、やってみなくちゃ解らない。その人にどれくらいの才能や素質が眠っているのか目覚めるまでは解らないのだから。

 

しかし、どこで成長が止まるのかという下限はハッキリしています。それは。「もうこれで充分だ」と思い、苦悩の無い快適な領域に留まった時に成長は終わります。

 

技術的に快適になるだけではなく、周囲の環境も快適になってくると成長は鈍ります。

 

同じ動画に投下し続けると、固定のファンがボチボチ出始める訳ですよ。投下の最中に「わー! あんたを待ってたよーー!」的なコメントが来たりした。そうやってファンが増えてくると、物凄く居心地が良くなってくる。

 

この居心地のいい世界に罵詈雑言が侵入してこよう物なら、全力で反論してやりたくなる程に。壁の中に巨人が入ってきた時の如く、一匹残らず駆逐してやろうとする衝動に駆られる。共存なんて無理! 「うるせー、テメーにこの俺様の作品の素晴らしさが解るわけねーだろ!」的な事を言い出す。

 

否定的なフィードバックを駆逐する様になり始めたら、クリエイターとしては末期ですね。

 

考えても見て下さい。HDA氏が、動画の否定的なコメントに対して「お前見たいな馬鹿なガキに、俺様の凄さが解る訳ねーだろ!!」と、呪詛の様な長文反論を書いている姿を想像できますか? 想像できたとしたら、それはどこの世界線のHDA氏だ?

 

HDA氏は、居心地のいい領域に引き篭もって家畜の安寧を貪る事なく、絶えず壁の外に飛び出そうと足掻いている側の人間です。だからこそ成長が止まらないし、出来る事がどんどん増えてどんどん自由になっていく。壁の外に出たかったら出ればいいし、出たくないなら出なければいい。全てを「自由に」選べる立場にいる。ミスターアンチェイン。

 

もしあなたが急激な成長を遂げたいのであれば、否定的なフィードバックも真摯に受け止めるHDA氏のあり方は、必修カリキュラムに近い学ぶべき事です。危険が渦巻く壁の外に出るのは怖いですよ。ですがその怖さの中に突っ込まないと「急激な」成長は出来ない。

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しかし恐い所に突っ込むなんて普通の人はできません。だからこそHDA氏は「普通」じゃないし、神格化されるのです。「」格化と言うくらいなのだから、人間離れした何かを持っていないと神格化はされない。

 

いつか現れる変態の為に

さて。

 

「お前が教科書になるんだよ!」とは言っても、悩みに悩みぬいて上達法を見つけ、更にはそれを実践するなんて苦行はとてもシンドイです。「普通の人」はまずできませんね。

 

意識高い系の人達に言わせれば、向上心に溢れ努力し続ける人間は「素晴らしい人」であり、向上しない人間は「駄目な人」となるそうだが、これって的を射てない発言だと思うのですよ。

 

向上心がなく、自分に何の義務も課さず、日々のんべんだらりと生きている人間は「駄目な人」ではなく「普通の人」です。それが普通であり当たり前なんですよ。生物ってのは省エネ志向ですからね。省エネで生きているのであれば限界ギリギリまでエネルギーの消耗を抑えるのが、40億年の進化の歴史で身に付けてきた生物の特性です。

 

俺が「普通に」生きているだけで駄目人間扱いして、俺の人間性を否定してくるアイツらは一体何なんだろう。

 

「駄目な人」が居るとしたら、自分が努力しないどころか、努力している他人の足を引っ張る事を生き甲斐にしている人が「駄目な人」なんじゃないですかね。

 

向上心に溢れ、日々自分に高い要求を課し、毎日成長を続ける人は最早普通ではなく「異常」であり、「例外」であり、「変態」なんですよ。つまりポカメ氏は変態である。以上、証明完了Q.E.D.

 

ポカメ氏が普段どんな生き方をしているのかまでは解らないので、普段は「普通の」人生を送っている「普通の人」なのかもしれない。ですが、ことコメントに関しては間違いなく「変態」であると断言しましょう。

 

今回の記事は、変態が書いた記事をいつか現れるであろう変態が読む事を想定して書きました。

 

もし「僕もカッコイイコメ職人になって、動画の人気者になりたい」というライトで普通なニコニコユーザーがこの記事を読んだら、「え・・・・コメ職人てここまで自分を追い込まないといけないの・・・?」とドン引きして回れ右する内容ですよ。いや、ここまで自分を追い込むポカメ氏クラスの変態コメント職人は、そんなに居ません(全く居ませんとは言っていない)。

 

何でこんな普通の人お断りな記事内容になったのかというと、それは俺のせいじゃなくてポカメ氏のせいですからね(責任転嫁)。

 

CA始めてすぐの方で、かつCAを本気で上達したい人のヒントになればいいなーぐらいの気持ちで書いています。

(デカ文字強調は俺の編集)

 

「上手くなれたらいいなぁ~」ではなく、「なんとしても上手くなりたい!」という本気(本気と書いてマジ)でやりたがっている変態に向けて書かれた記事なのですから、それを読解した記事も変態向けになるのは自然のなりゆき。でも一応、普通の人が読んでもそれなりに楽しめる様に努力はしました。努力しただけですが。

 

CAを「普通に」ただ楽しみたい。ゲームは楽しんだ人が勝ちだろという「普通の人」は、厳しい練習で自分を追い込む必要はありません。ライト層お断りのゲームは新規参入が無くなり、いずれ先細りになる。CA界隈も、ライト層を追い出し変態以外お断りになったら、それはもう末期の兆しですね。大丈夫ですよ~~、CAは気楽に適当に練習しても、「それなりに」上手くなるし楽しめます。

 

――――しかしだ。

 

時々現れるんですよ。「ゲームは楽しんだ人が勝ち」ではなく、「勝てるから楽しいんだろうが!」というガチの人間が。「それなり」のレベルアップじゃ満足できない変態が。

 

そういう人にとっては、上達する為ならば自分をとことん追い込む事さえ快感であり、麻薬中毒者の様に苦行を求める事になる。そう、ポカメ氏のようにね。いや、ポカメ氏が快感を感じていたかどうかは本人のみぞ知る事ですけど。

 

結果として、いつか現れるかもしれない「私は変態になりたい!」という人の為だけに向けて、極めてニッチでマニアックなニーズにのみ応えるマーケティングに大失敗した記事が出来ましたが、俺が書きたかったんだから仕方が無い。

 

さて、長くなりましたがそろそろ締めに入りましょう。

 

正直に言うと、今回の俺は絶望感に襲われながらこの記事を書いていました。どのくらいの絶望感なのかというと、「この俺は変身をする度にパワーがはるかに増す・・・。その変身をあと2回も俺は残している・・・・。その意味が解るな?」と言われた時くらいの絶望感ですね。

 

当初はこの記事を2,3日でパパッと書き上げる予定だったんですよ。それでポカメ氏の凄さは全て書ききれると思っていました(過去形)。

 

所が書いても書いても書ききれない。しかもポカメ氏の記事を読み直している内に、書く前には気付かなかったポカメ氏の凄さが次から次へと現れてきたので、もう構成も何もあったもんじゃない記事になってしまった。最初の予定になかった書くべき事がドンドン増えていく。こいつは後何回の変身を残しているんだ!?

 

とてもじゃないが、ポカメ氏の全てを書ききる事は不可能なので、書きたいことを泣く泣く削ってこの長さです。いずれ終るだろうと思って掘り下げても、底無しに続く。この絶望感が解るかな?

 

 

 


どうしてこんな事になったのか、私にはわかりません。

 

これをあなたが読んだなら、その時、私はもう力尽きている事でしょう。

 

・・・記事があるか、ないかの違いはあるでしょうが。

 

これを読んだあなた。どうか私の代わりにポカメ氏の残りの謎を読み解いて下さい。それだけが私の望みです。


 

 

 

 

書けば書くほど書きたいことが増えるビッグバン現象に陥ったので、強引に記事を終らせます。言葉足らずで良く伝わらなかったであろう所は、フィードバックを送ってくれれば、補足説明を書きます。書けるだけの気力と体力が回復していればの話ですが。

 

それでは、次回の記事までごきげんよう。

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