さあ、歌詞イベについて語ろうか。
とは言っても、今現在開催中の『2018年歌詞コメントアートコンテスト』ではなく、去年開催された真夏のCAイベント『歌詞職人はじめました』についてです。
何故去年のなんだという話であるが、単純に語り足りていないからと言うのが理由です。去年、文字数制限のあるコミュの掲示板で書けるだけ書いたが全然足りてない。(あのコミュの不便な掲示板は何なの!? あの掲示板作った技術者、絶対自分で作った掲示板を自分で使った事ないだろ!)
勿論他にも理由があって、去年のイベと比較する事によって、今年のイベで一体何が起きてたのかがよく見えてくるからでもあります。
去年から始まったこの歌詞イベントというのは、それまでのコメント界隈には無かった属性のイベントだ。既存の「みんなで集まってワイワイやろうぜ」ではなく、「誰が凄いのか白黒ハッキリさせようぜ」という、『勝負』を明確に打ち出したイベント。
富、名声、力。コメント界の全てを手に入れた男、コミュオーナーmonmon。
彼が梅雨の終わり際に放った一言は、コメ職人をコマテへと駆り立てた。
「最強の歌詞職人の称号か? 欲しけりゃくれてやる。
作れ!! この世の全てをそこに置いてきた!!」
職人達は最強を目指し、歌詞を作り続ける。
世はまさに、大制作時代!!
―――とまあ、大体こんな感じ。
因みにこのイベントで勝つための戦略は、たったの2つ。「数」を出すか、「質」を追求して評価を得るか。トレードオフ(あちらを立てればこちらが立たず)の関係になっているこの2つの戦略の内、どちらか1つを選ぶ事が勝利に繋がる。そして後者の評価を得るというのが厄介な部分でもあります。
「素晴らしい作品=評価が沢山集まる」という解りやすい因果関係が成り立っていればいいのだが、現実はそれ程単純ではない。評価されているからと言って素晴らしい作品とは限らないし、素晴らしい作品であっても評価が集まるとは限らない。
そしてかなりの実力を備えていながら、イベントの構造的欠陥によって、評価が集まらなかったのが今回の記事で採り上げる王様こと伊吹氏です。伊吹氏がその実力を如何無く発揮したとしても、現行の歌詞イベントには伊吹氏の実力を評価し、測定する物差しが備わっていない。この点を丁寧に読み解いていく事は有用だと考えています。ここから色々な物が見えてきますから。
そんな訳で前フリはここまでにして、早速本編に入っていきましょう。
王の王たる所以
王様こと伊吹氏であるが、名前の表記が「伊吹」「いぶき」「IBK」とコロコロ変わっているので、この記事では便宜上「王様」で統一します。まあ、俺自身が普段から「王様」と呼んでいるのでこれが一番馴染んでいて、書きやすいからってのが本音ですが。
このアダ名の由来は、おそらくツイッターのアカウント名に由来する物だろう。昔は達筆王と名乗っていましたから。それで結構な数の人から「王様」と呼ばれていた。その後はキャプチャ動画を作りまくっていたので、キャプチャ王としての「王様」、という意味に俺の中では変更された。毎日キャプチャする動画を求めまくっていましたからね。
本人は「王様」と呼ばれるのがこっ恥ずかしくなってきたのか、ある日俺がキャプチャして欲しいマイメモを捧げたら、快く引き受けてくれた物の「でも、王様呼びはちょっと・・・・」的な返事も一緒に来た。さて、俺はこれから王様の事をなんて呼べばいいのだろうか?
う~~~~~~~~ん。
う~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。
言っておきますが俺は、裸の王様を祭り上げる趣味は持ち合わせていませんからね。王は王であり、俺が「王様」という言葉を選ぶからには「王様」と呼ぶだけの理由があっての事。王の王たる所以をこれからしかと解説していきましょう。
アウトプットの「質」はインプットの「量」に比例する
何かを生み出そうとする人間ならば、常に付きまとうのがアウトプットに関する悩みだ。出てきて欲しい物が出てこないという悩みですね。いいアイディアが出てこない、斬新な切り口が出てこない、ネタが思い浮かばない、構成が浮かばない。
当人には深刻な悩みであるが、原因は実に単純であり、解決策はなお単純です。アウトプットが出来ない原因は、単純にインプトットが足りなすぎるから。当たり前の事なのですが、体からは喰った物しか出てこないのですよ。アウトプットが出来ない人の多くに共通する事は、見てないし、読んでないし、聴いてないし、触れてないし、喰っていない。何も体に入れていないのだから、何も体から出てこないのは至極当然の事です。
王様はキャプチャ王として、短期間でひたすら歌詞を見まくっていた時期がありましたからね。インプット量は相当な物になってますよ。
単純なキャプチャ量だったら、monmon氏やozto氏の方が遥かに上回る事であろう。しかしこの両名は時間をかけて積み重ねてきた結果であり、ここに「密度」という物差しを加えてみると別の知見が得られる。同じ100のキャプチャ動画であっても、1年かけてのんびり100作るのか、1週間で一気に100作るのかでは、その密度が全然違う。「キャプチャ量 × 密度」で測るのであれば、遅れてスタートしたはずの王様は、両者の先人に引けをとらない。方法は解らないが! 強制的に成長したんだ・・・・・・・・・・・・!! 両者を倒せる領域(レベル)まで!!
流石はキャプチャ王と呼ばれるだけの事はある。そう呼んでいるの俺一人しかいないけど。
インプットの時に大事なのは多様性
見出しで既に結論が出ているが、インプットの時に大事なのは色々な種類の物を摂取する事です。何かを学習する時には特に大事。その事を示す実験結果を紹介しましょう。
8歳の児童たちが体育で玉入れの練習をした。その内半数は90センチ離れた所からのみ玉を投げた。残りの半数は60センチ、120センチ離れた所から交互に投げる練習を行った。12週間後。全ての児童に90センチ離れた所から投げさせると、圧倒的に上手く出来たのは意外な事に、ずっと90センチで練習していた児童ではなく、60センチと120センチの両方で練習していた児童達だ。(出典:NTT出版 『使える脳の鍛え方』 P53)
これはどういう事なのかというと、同じ事をやり続けると単なるルーチンワークになって脳は殆ど働かなくなるという事を示しています。学習の対義語があるとすれば、それはルーチンワークこそ相応しい。ルーチンワークをしている時、人は新しい事を何も学んでいないという訳です。故に様々な距離から投げる「学習」をしていた児童の方が、未知の距離にも対応できる応用力を身に着ける事が出来た。
多くの人がキャプチャ動画を作る目的は、自分の好きな作品を保存したいからってのが殆どだと思う訳ですよ。そして、好みに従うとどうしても見る作品は偏ってくる。好きな動画のジャンル、好きな作風、好きな製作者。そもそも好きな作品をいつでも見る為に保存するのだから、わざわざ嫌いな作品や興味の無い作品を保存したりしない。趣味でやっているのだからそれで何の問題も無いのですが、「学習」という観点から見ると似た物ばかりを眺め続けていても学習の効果は薄い。自分の慣れ親しんだ物だけを眺めるのは、知っている事の「確認」であり、そこに学習によるビフォーアフターは存在しません。
それに対して王様は、もう自分の好み関係なく何でもかんでもキャプチャしまくっていました。勿論、好みを反映して遊戯王関連の動画に偏っていたりはしましたが、最終的には何でも喰いまくる雑食に変化してました。もうキャプチャそれ自体が目的と言わんばかりに、皆からキャプチャして欲しい動画も公募しまくっていたし。「それ、俺の好みじゃないからキャプチャしない」みたいな判断を下す事なく、まずはキャプチャ。判断はそれからだ。
強くなりたければ喰らえッッッッッ!!! という地上最強の生物の教え通り、毒だろうが栄養だろうが、良作だろうが駄作だろうがお構いなしに体の中に入れてきた。その過程を経た王様には、多分他の人には見えない物が見えている。言うなれば、世界中を旅して色々な文化の違いを見てきた人間みたいなものですね。
インプット量が『素質』を育む
素質とは何か? という事に関して俺の定義は以下の通り。
素質とは「種を蒔けば生える」という事。
豊かな土壌ならば、もう種をバラ蒔くだけで後は放っといてもスクスク育つ訳ですよ。逆に、やせ細った大地や、アスファルトの上にいくらバラ蒔いても種は生えない。これを言い換えると、豊かな土壌には芽を出させる素質があるが、痩せた土地やアスファルトには芽を出させる素質が無い、と言い換える事ができます。
このやせ細った大地を、耕したり肥料を撒いたりして豊かにしていく作業こそがインプットである、ってのが個人的な見解です。自身の経験則で導かれた結論なので、事細かな理論がある訳ではないですけどね。それでもある程度の反論には耐えられるんではないかと自惚れています。耐えれなかったらゴメン。
マンガが好きでマンガばっかり読んでいる?
オーケー、あなたはマンガ家になる素質がある。
ゲームが好きでゲームばっかりやっている?
オーケー、あなたはゲームクリエイターの素質がある。
ニコニコの歌詞CAが好きで歌詞CAばっかり見ている?
オーケー、あなたは歌詞職人の素質がある。
藤子不二雄両名にしても荒木飛呂彦にしても、俺の知っているマンガ家は皆、マンガを読みまくってた子供時代を送っている。荒木飛呂彦に至ってはマンガに人生を救われたし「マンガに出合ってなかったら、多分妹達を殺してたんじゃないかな」という、この部分だけを切り取ったら絶対に誤解される発言もしている。マンガをロクに読まずしてマンガ家になった人っているのかな?
インプットを続ける事こそが、その人の素質を育む。ただここで勘違いして欲しくないのは、あくまでも素質ってのは種を蒔けば生えるという事。「蒔かぬ種は生えぬ」の諺どおり、どんなに豊かな土壌を持っていても種が無かったら雑草すら生えません。
そもそもインプットを続けて土壌を耕すだけで、実り豊かなアウトプットも出来る様になるのであれば、俺がマンガ家になって少年ジャンプの看板作家になっていないのはおかしい! という話になってしまう。しかしだ。俺はマンガ家になる為の種を全くと言っていい程蒔いて来なかった。ノートの隅っこに絵を描いた事もないし、定番の歴史教科書への落書きすらした事もない。いつまでも消費者の側であり、生産者の立場に立つ行動は取っていないのだから俺がマンガ家になる事は無いですね。ひたすら食い続けるだけで料理人になれるのであれば苦労は無い。
どんなに素質を持っていても、才能の種を蒔かなかったら才能の芽は出ない。
とは言っても、もし一歩踏み出して生産者の側に立とうとするのであれば、今まで何もしてこなかった人よりも、「消費者」として素質を育んできた人がジョブチェンジをした方が、早く成長する事でしょう。それに、そっちの方がいい物を作れる可能性が高い。消費者が何を求めているか自分自身が良く解っていますからね。デブが喜ぶ料理を一番上手く作れるのはデブなんです。
で、王様の話に戻ろう。
王様は、大量の、そして多様な歌詞をインプットしまくってきて、歌詞の素質を育んできた訳です。勿論見まくっただけで作れる様になるのであれば苦労は無い。しかし、いざ歌詞を作ったら結構いい物作れるんじゃないかなぁ、とノンキに予想していたのだが実物を見たら予想以上に凄かった。全く構えていない無防備な所にカウンターパンチを喰らったのだから、その衝撃は大きい。絵系のCA職人だから歌詞の実力は未知数だった所にあの衝撃。イベントにて王の風格を遺憾なく発揮した。
歌詞のセンスとアイディアなら我々のキャプチャ量がものを言う!! 王の風格見せてやる! キャプチャ王 伊吹!!
— メモ帳 (@philo_77) October 22, 2017
作品、つまりアウトプットの質を左右するのはインプットの量。そして多様性。それらを積み重ねて素質を育む事。この3つを経てきた王様は、いい作品を作れる力が備わっていると予想してたし、実際に備わっていた。
以上の3点が、王の王たる所以であり根拠です。俺の主張は根拠とセットだ。上の根拠が崩れない限り「王は王である」という俺の主張は変わらない。それを踏まえた上でまた「王様呼びはちょっと・・・・・」と言われたらどうしよう。何て呼べばいいのやら。う~~~ん。
まあ、それはそれとして――――
そんな実力を備えた王様でありながら、冒頭にも書いた通り現行の歌詞イベントには王様の実力を正しく評価する物差しが無い。王様がババ抜きのババを掴まざるを得ない構造的欠陥がある。ここからはその点について事細かに解説をしていきましょう。
コメント職人の走破スタイル
冒頭でも書きましたが、歌詞イベで勝つ為の戦略はたったの2つしかありません。歌詞の「数」を量産するか、歌詞の「質」を追求するか。何故そうなのかというと、現行の歌詞イベントがこの2つの要素を競う2つの部門しかないからです。
そして、それぞれの部門に特化した走破スタイルの職人が俄然有利となります。具体的に言うと、チーター型とシマウマ型の2つ。それ以外の走破スタイル、例えば王様の様なガゼル型は現行のルールでは圧倒的に不利です。これらの用語は俺が勝手に付けた呼び名なので、ここからは詳しい解説をしていきましょう。
量を生み出すチーター型
ご存知の通り、チーターは最大時速120キロで走る地上最速の動物です。はっや~~い。とは言っても、その最大時速を維持できるのは僅か数十秒だけ。一旦インターバルを挟んで回復させないと、また時速120キロで走る事は出来ません。持久力をガン無視して、瞬発力のステータスに全振りの進化を遂げた動物。
作品を作る時、一つの作品に長々時間をかける持久力は無いが、一つの作品を完成させる瞬発力に秀でているのがチーター型です。チーター型の職人の代表格はmonmon氏(エントリー14+支援歌詞5)。
大量に歌詞をエントリーして優勝したかったら、やるべき事はたったの2つ。迷わず作り始めて、振り返らずに終わらせる事。俺もそうなのですが、作り始める前は「どんな歌詞を作ろうかなぁ」と悩んだり迷ったりする人が多いと思うのですよ。しかし、5分迷う事は5分を失う事。その失った僅か5分の間に、チーター型は遥か彼方まで走り去っています。自分に馴染んだ使い古しのテンプレ構成でいいから、とにかく作り始める。
やるべき事の2つの内もう一つが、振り返らずに終わらせる事。やはり俺もそうなのですが、いざ作った歌詞を見直してみると直したい箇所が出てくる出てくる。一発で納得のいく歌詞が出来る事なんて、極めて稀な出来事ですからね。修正を繰り返してようやく納得の行く所まで持ってこれる。ベテランなら一発で出来るのだろうが、俺は無理。
しかし、一々振り返って直していたら作品の数は出せない。作り終えたらササッと投下して、振り返っている暇があったら次のスタートを切る。歌詞イベの2つの部門の内、数を競う部門では厳格に「数」のみを競います。他の不透明な要素は含まれていない極めて公平な勝負。勝ちたかったら、他の職人が質を追求している間に、新しい作品を作って数を出せばいい。ひたすらリリース、しょっちゅうリリース。
「もうちょっと時間をかけて練りこみたいなぁ」という後ろ髪引かれる思いをガン無視して、ひたすら前へ前へ進む事が出来るのがチーター型の職人です。
質を追求するシマウマ型
シマウマにはチーターの様な爆発的な瞬発力はありません。しかし持久力に優れ、時速60キロの速度を維持したまま長時間走り続ける事が可能。すっご~~い。雨季に合わせた群れの大移動を繰り返せる持久力だ。
シマウマ型の職人は、作品を作るのがとにかく遅い。1日に3コメとか4コメとかそれ位。1日に10コメとか進んだらもう御の字ですわ。その代わり、1ヶ月でも2ヶ月でも、作品を完成させるまでひたすら走り続けるだけの持久力があります。シマウマ型の代表格は俺(エントリー1+支援歌詞1)やHDA氏(エントリー1+遅刻1)。期間中の2ヶ月かけてエントリー1本しか作れていない。しかも遅刻ギリギリ。
なんでそんなに時間がかかるのかと言うと、膝に矢を受けてしまったからというのが理由の大部分を占めるのですが、質を追求しようとしたらどうしても時間がかかるのは仕方が無い。そりゃぁ、そこまで時間をかけなくても充分良い作品は作れるさ。けど、シマウマ型の職人は充分じゃぁ駄目なんだ。
「全部」を妥協なくやろうとしたら、どうしても時間がかかるのです。まだ走れるだけの時間と体力が残っている限りは、ひたすら走り続けます。締め切りが無かったら、それこそ力尽きるまで延々と。でも中々力尽きないので、結果としてかなりの時間を走り続けてしまう。
どうでもいい事ですがシマウマ型の末期症状は、自作品を見ても何も感じなくなる事です。どんなにステーキが好きだったとしても、朝昼晩毎日同じステーキだけを食い続けていたら、最終的には肉食っているのかゴム噛んでいるのか解らなくなりますよ。
生物は同じ刺激を受け続けると、感覚が麻痺して何も感じ取れなくなります。試しにどこか一点をひたすら見つめ続けてみてください。指先でもペン先でもひたすらその一点を。どんなに見つめ続けようとしても気付いたら別の所に眼球が動いてしまうし、それでも見ようとすると視界がぼやけて肝心の所が見えなくなる。
そんな感じで、1ヶ月2ヶ月と自分の作品を見つめ続けてきて、同じ曲を聴き続けてきた訳です。公開寸前には自作品を見てワクワクもしなければ、興奮もせず、恐ろしい程冷め切った目で作品を見てます。「これ、見てて楽しいの?」「こんなの見て喜ぶ人がいるの?」と、自信の欠片も有りやしなくなりますから。ozto氏曰く「段々感覚がおかしくなって結局お蔵入りの運命に・・・orz」というのはこの現象を示しての事ですね(直感のCAと熟考のCA )。マジで感覚がおかしくなる。
本編とは全然関係無いエピソードだったのだが、シマウマ型の「あるある」話として結構同意されまくるだろうから紹介したくなりました。
歌詞イベの2つの部門の内、評価を多く得る部門では、シマウマ型が俄然有利です。時間をかければ良い作品が作れるなんて保障は全く無いが、それでも良い作品を作ろうとしたら時間がかかる物ですから。長時間の制作に耐えうる持久力は、強力な武器となります。
質と量を兼ね備えるガゼル型。
ガゼルにはチーターの様な瞬発力は無いし、シマウマ程の持久力も無い。しかしながら、時速90キロの速度を維持したまま長時間走り続ける事が出来る瞬発力と持久力を兼ね備えている。はっや~い、すっご~い。象や馬やゴリラ等の様に屈強な肉体で肉食動物から身を守るのではなく、余計なウェイトを削ぎ落としたスリムな体が生み出す「逃げ足」で生き残ってきた。逃げに特化したその瞬発力と持久力は、チーターをも凌駕する。
作品を作る時、一定の質を保ちつつ素早く仕上げるのがガゼル型の職人です。このガゼル型の職人の代表格が王様な訳だ(エントリー6+支援歌詞2)。しかもこのエントリー6作品というのは、開催期間の後半部分。僅か3週間で叩き出した数字です。速さ=走行距離/時間 な訳ですから、少ない時間でここまで走れる王様の速度はチーター型とも張り合える。
速さを重視すると、どうしても細かい部分の練りこみが足りなかったり、荒が目立ってくる。だからと言って1コメ2コメの枝葉末節に拘りすぎてたら、いつまで経っても全体は完成しない。トレードオフの関係になっている全体と部分。どちらにどれくらい配分するのかを見極める絶妙なバランス感覚を追求するのがガゼル型です。
このバランス感覚の凄さを理解するには、綱渡りをしている姿をイメージしてみればいい。チーター型は綱の上を勢い良く全力疾走して、勢い良く落ちていきます。シマウマ型は、一歩一歩慎重すぎる程慎重に足を進め、いつまで経っても前に進みません。
それに対してガゼル型は、落ちもせず止まりもせず絶妙なバランス感覚でスタスタと歩みを進めていく。むしろ歩くよりもちょっと速いくらいの速度で。
ガゼル型は東方で言うのであれば、レミリアのポジションですね。吸血鬼は鬼の怪力と天狗の速さを兼ね備える。この手の話をするとマンガ版儚月抄の時の様に「力は萃香の方が―――」「速さは射命丸の方が――」と例外を持ち出して反論してくる人が居るが、そう言う人達は解っていない。萃香に天狗の速さは無いし、射命丸に鬼の怪力はない。個体で両者を兼ね備えるからこそ、吸血鬼は畏怖とカリスマの象徴足りえるのだ。まあこんな話をしておきながら、王様のアイコンはレミリアじゃなくて萃香なんですけどね。
ガゼル型の憂鬱
どこまで質を追求するのか。どこまで速さを重視するのか。この相反する2つを絶妙なバランス感覚で両立させるのがガゼル型の凄さなのです。しかし冒頭でも書いた通り、現行の歌詞イベントにはこの凄さを測る物差しが備わっていない。
速さに特化するか、質に特化するか。好成績を収めたかったらやるべき事はこの2つの内の一つのみ。どちらにも特化していない王様は、中途半端な扱いを受けて日の目を出ない。どんなに「奮ってご参加下さい!」と呼びかけたとしても、果たしてこの状態でガゼル型の職人は奮って参加したくなるであろうか? チーター型とシマウマ型は奮って参加しますが。
ガゼル型に投票するのは難しい
歌詞イベについて語る記事なのに、ここまで歌詞作品の紹介無し。満を持してという訳ではないですが、ここで王様の歌詞について見て行きましょう。
エントリー作品 計6本
支援歌詞 計2本
――――さて。
何の紹介文もなく、ただズラズラと並べただけで見たくなる人が居るであろうか。「で? 結局どれを見たらいいんだ?」となって終わり。こち亀だって、立ち読みで一冊読む分には面白いのだが、全200巻を読破しろと言われたら読みたくなくなる人の方が多数だろう。
見て欲しいお薦めを俺が選べばいいんだろうが、相手が王様の場合この「選ぶ」ってのが難しいんですよ。何故なら選別する為の決め手が無い。
例えば、片方がネタ寄りのイロモノ枠で、片方がガチの作品だったら迷い無く選べます。あるいは、片方がナメ腐った態度で作った雑な作品で、もう片方が丁寧に作りこまれた作品だったらやはり迷い無く選べます。
所が王様の場合、どの作品も同程度のクオリティを確保しているし、同程度の美しさを備えているし、同じ作風で作られている。だからこの中から一つだけ選べと言われても難しいのです。無限に投票出来るのであればいいのですが、イベントの票数は5つしかない。票はエリクサー並に貴重なアイテムなのです。
決め手に欠ける選択肢の中から一つだけ選ぶ事の難しさは、ちょっとした思考実験ですぐに実感できます。あなたが黙っているだけでも異性が寄って来るラブコメの主人公だったとしましょう。そして、双子の女の子から「ねぇ、どっちが好きなのよ」と詰め寄られるという、現実にはありえないがラブコメではありがちなシチュエーションを想定して下さい。
その手のマンガやゲームでは、双子は絶対にキャラが被らない用に設定されている。片方はショートで片方はロングの髪型だとか、片方はオドオドしてて片方はイケイケだとか。しかしこの思考実験で想定して欲しいのは、全く区別がつかない双子です。同じ髪型、同じ顔、同じ服装、同じ性格、同じ価値観、同じ言葉遣い、同じ趣味。そんな双子から詰め寄られた場合、一体どうやって選べというのか? 片方だけがポニーテールだったとしたら「俺、ポニーテール萌えなんだ」という実にどうでもいい基準で選ぶ事も出来るが、それすら出来ない。
決め手が全くないのに、それでもなお決めなくてはいけない。8個もある王様の作品の中から一つだけ選ぶ事は、この様な困難が伴うのです。双子どころか8つ子だし。しかしこの記事ではなんとかして選びましょう。
王様の代表作はどれか?
苦労しました。なんとか評論して代表作を選ぼうとしたのですが、最終的には「ここ好き」という、「評」でも無ければ「論」でも無い、他人に理解させる気があるのか無いのか解らん判断基準に頼らざるを得なくなりましたよ。
白熱した脳内会議の結果、後半に作った支援歌詞の2つにまで絞れました。同程度のクオリティと言っても、やはり場数を踏んだ後半の方が良くなってきている。具体的に言うのであれば、表現に幅ができて引き出しが多くなっている。
後半2つになってからは、前半の様に固定コメだけでなく、nakaコメによる伝統的な東方歌詞も多様する様になっていました。伝統的な東方歌詞をインプットして学んできた結果ですね。流石ですわ王様。後半の2つは他6つと差別化されているので絞りやすかったです。でも前半3作目の、影を作る演出の多用も捨てがたい………全然絞れてないやん! 絞れッッ!!!
で、2つの内のどちらを選ぶか。先ず、俺の個人的な美的感覚(通称ここ好きポイント)を書いておきましょう。俺は、線形的な直線よりも、非線形的な曲線の中にこそ美しさが宿ると考えている人間です。非線形的な曲線の歌詞ってのはどういう物かというとだ。
例えばこんなのとか、
こんなのとか、
こんなのとかの事です。
実に美しい。この文字配置も、イベント後半になるにつれて洗練されてきて、文字と文字の間のギリギリを攻めつつ魅せる様に成長していった。流石ですわ王様。
上の3枚目の画像は「に」と「落」の文字がぶつかっている様に見えますが、それは動画を切り取って静止画にしているからです。画像の箇所は一文字ずつ順番に文字を表示させているので、動画で見れば「落」の文字が遠近感を生み出して手前に飛び出ている様に見えるんですよ。歌詞は画像ではなく動画で見ましょう。
で、長々考えた結果。俺が推す王様の代表作はこちらになりました。
王様の作品を見るのであれば、こちらの1本をオススメします。
因みに最終選考まで残った2つの内、こちらを選んだ決め手は何だったのかと言うと、俺が東方で一番好きなキャラはレミリアなんだという歌詞とは全然関係が無い判断基準で選ぶ事になりました。今回は無理矢理結論を出しましたが、もし作品の内容「だけ」で選ぶとしたら、多分いまだに結論は付いていない。動画にレミリアがたくさん出てこなかったらやばかったわ。見出しの最初の方に、「評」でも無ければ「論」でも無いと書いた事の意味は解って頂けたかと。
ガゼル型の対抗戦略
現行の歌詞イベントでは「作品」に投票するシステムになっています。しかし作品を選ぶとなると、王様の様なガゼル型の職人の作品を選ぶのは、大変な困難を伴う物なのですよ。
混乱した脳は常に「ノー」と言う。
どれを選んだらいいのか解らず脳が混乱を起こすと、結局どれも選ばず終わる事になります。仮に選んで投票したとしても、多数の作品に票が分散されて、1作品に集まる票数は少なくなる。そして現行の歌詞イベでは、あくまでも1作品に集まった票数の多さ「のみ」を競うのです。結果、ガゼル型は低評価になってしまう構造的欠陥がある。
もしも「作品」ではなく「製作者」に票を入れられるシステムだったら、王様は結構な票数を集めていたと確信している。低評価からの一転攻勢。
ただ、この構造的欠陥はルールを作ったゲームマスターの立場から見れば確かに欠陥ではあるものの、ゲームプレイヤーの立場から観れば越えるべき障害であり付け居る隙でもある。ガゼル型が好成績を収める戦略が無い訳ではないからだ。
ガゼル型がどうやったら好成績を残せるのかは、王様と同じくガゼル型であるホーネット氏(究極の歌詞職人部門3位)や詩犬氏(究極の歌詞職人部門4位)が採った戦略がとても参考になります。
ハイペースで一定のクオリティを確保した作品を作り続ける所までは同じです。ただ、そのままではどの「作品」に投票したらいいのか解らなくなるし、票が分散してしまう。「作品」ではなく「製作者」に投票したくなるのが、ガゼル型の特徴ですね。
正直ホネくんのどれに投票しようか迷うわw いっそのことホネくん自身に投資したい
— HDA (@HDAcom) October 22, 2017
だからこそ作るのです。イベントの終わり際に、今までのより少し多めに時間かけて練りこんだ集大成を。「俺に投票したかったら、この作品に投票しろ!」という代表作を作って票を集める戦略が、決定的な有効打になります。
もしも王様が代表作にあたる作品を作っていたのであれば、俺は迷わず投票したであろう。今回の記事で俺は、迷って迷って数日かけてようやく王様の代表作を搾り出しました。苦しかったです。投票する人をこの苦しさから解放する事が、ガゼル型が勝つための必須事項ですね。
因みに今年の歌詞イベで俺は、上記の戦略の有効性を自身で検証する為に、一歩を踏み出してそのまま踏み外しました。成功か失敗かで言ったら大失敗ですね。現場に飛び込まないと解らない事って山ほどある訳ですよ。
本番の緊張感の中、自分はどの位の集中力を保てるのか?
何分までならプレッシャーの中でもノーミスでいけるのか?
その動画の視聴者からはどんな反応が返ってくるのか?
何分までなら肩こりに苦しまず快適に投下できるのか?
これらはコマテに引き篭もっていたら解らない。なのでイベント期間中はひたすら場数を踏んでレベル上げに徹し、最後の1ヶ月か2ヶ月をかけて集大成を作ろうと目論んだのです。
結果どうなったのかというと、1週間以内に完成させようと決意してうpした最初のコマテが、そのまま最後のコマテになりました。イベント期間中にエントリーしたのは3ヶ月かけてそれ1本。何が1週間以内に完成じゃぁい!! 何がレベルアップしてからの集大成じゃぁい!! まさかここまで瞬発力が衰えているとは知らなかった。ガゼル型の瞬発力と持久力の凄さを、まざまざと見せつけられる結果となった事をご報告いたします。
ガゼル型の戦略を実践出来るのは、ガゼル型の人間だけという極めて当たり前の検証結果が導き出されました。
これからの歌詞イベの話をしよう
ここまで王様を通して過去の歌詞イベを見てきました。こちとら無料のデバッカーな訳だから、バグを見つけたらゲームマスターにガンガン報告しなくちゃ(使命感)。現行のゲームは、ガゼル型の職人が低評価になりがちなバグを抱えている。このバグを放置していたら、今後イベントを行う時どんなに「奮ってご参加下さい」とガセル型に呼びかけても宣伝効果は薄い。呼びかけるよりも先に、ご参加したくなる環境を整えるべきです。
現状、来年以降もやるのか解らない訳だが、もしやるのであれば必要になってくる改善案を書いていこうと思います。どんなプログラムもリリース直後はバグだらけ。けどバグや不具合を見つけたらウィンドウズの様に、その都度アップデートを繰り返せばいいだけの話。
開催期間は最重要項目
現在開催中の『2018年歌詞コメントアートコンテスト』の開催期間は、何と5ヶ月間。エントリー可能期間や投票期間も含めると、半年以上の長丁場。
この事を初めて聞いた時の俺の率直な感想は「うげぇぇぇ」でした。
持久力にはそこそこ自信があるシマウマ型の俺ですら「うげぇぇぇぇ」になったのだから、ガゼル型はもっと「うげぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」になった事は想像に難くない。実際、今回のイベでガゼル型は絶滅危惧種です。スタートダッシュとラストスパートの期間にチラホラ見かける程度。5ヶ月間に渡って最高時速を維持する事は無理ですから。開催期間を聞いて「あ、今回のイベントはパス」となったガゼル型も居る事でしょう。
因みに、シマウマ型の持久力最高記録は製作期間1年3ヶ月のHDA氏。過去最高記録かつ今後も多分ブッちぎり。そのHDA氏ですら、5ヶ月間をフルに使った大作を作ったりはしていない。なので、今のニコニコに5ヶ月間も走り続けられるコメント職人は一人も居ない前提で期間を設定する必要があります。
なぜガゼル型は絶滅危惧種になったのか?
イベントの開催期間はどれくらいがベストなのか? 何をもってベストとするかですが、そりゃぁ「勝負」を明確に打ち出したイベントな訳ですから、「一体誰が勝つんだ!?」というハラハラドキドキのデッドヒートを繰り広げる展開が個人的には望ましい。皆、諦める事なく全力でゴールを目指す真剣勝負が見たい。
皆が皆、全力を出すために、ゲームマスター側で出来る仕組み作りがあります。
それは、「ゲームの難易度≒その人の実力」になるようにゲームバランスを調整する事です。
これはどういう事かというとですね。例えばだ。イベントの開催期間が丸々1年だったとしましょう。その場合の俺のケースを考えて見ます。俺の持久力はもって3ヶ月程度。なので、イベ終了の3ヶ月前になって「よし、そろそろ作り始めるか」となる。そして作り始めたらなんとHDA氏が「9ヶ月かけた力作を作っています! 残り3ヶ月間も頑張ります!」という報告をしてきたとしたらどうなるか? もしそんな事になったら俺は、作るのを一瞬で放棄しますね。「無~~~~理~~ぃぃぃ。今からじゃ勝~て~な~い~~」と。恐ろしく早い試合放棄。俺でなきゃ見逃しちゃうね。
「ゲームの難易度 >>>>(越えられない壁)>>>> 自分の実力」の状態になると、ネトゲ用語で言う所の「萎え落ち」が発生します。「頑張ってみよう」なんて気はどこかに吹っ飛んでしまう。
上の方に「今回のイベでガゼル型は絶滅危惧種」と書きましたが、そうなった理由はガゼル型の「萎え落ち」が大量発生する事態になったからです。場合によってはログインする事無く落ちるという離れ業もやっている。今回ガゼル型にとっては、100メートル上空にあるバスケのゴールを用意されたようなものですから。
ガゼル型の持ち前の瞬発力で「数」を出そうにも、数を出す為だけに作品の「質」を妥協出来るほど割り切った人間ではない。一定ラインのクオリティを下回る作品を作ることはプライドが許さないだろう。
だからと言って、「質」に全振りして3ヶ月4ヶ月間走り続ける持久力は無い。1ヶ月もたった頃には飽きて別の作品を作りたくなっているだろうし、新鮮な気持ちで新しいスタートダッシュを切りたくなっているはず。ところが新しいスタートダッシュを繰り返せば繰り返すほどシマウマ型が有利になり、ガゼル型はゲームで不利になっていくのだから「何も作らない」ってのがベストの戦略になるおかしな事態が発生してくる。一生懸命頑張れば頑張るほど不利になる訳です。去年あれほど猛威をふるって、イベントの始まりから終わりまで盛り上げ続けてくれたガゼル型が、今回に限っては絶滅危惧種。
ゲームバランスを調整する
イベントのベストな開催期間はどれくらいか。それは「やってみなくちゃ解らない」ってのが一番誠実な答えではある。未来は誰にも解らない。ただ「やってみて解ったこと」もあるので、それを書き残して置くことは有用だろう。
何せ、monmon氏の前に教科書は無い。monmon氏が通ってきた足跡が教科書になるのだ。しっかりと足跡を研究して、後世に残す教科書を作っていこうと思っています。俺に人々を集めて何かを運営していく器量はない。ならば、代わりに運営してくれている人を全力で支持しサポートするのがせめてもの務めだろう。
今回やってみて解った事は、開催期間が長すぎるのはよろしくない、という事。
長すぎるとシマウマ型ですら「ゲームの難易度>自分の実力」となりうげぇぇぇとなります。ガゼル型に至っては「ゲームの難易度>>>>>>>>>>自分の実力」となって萎え落ちが大量発生する事態に。ゲームバランスが崩壊してます。
今回で5ヶ月は長すぎるという事が解りましたが、3ヶ月4ヶ月でもほぼ同じ結果になる事は予想できます。ガゼル型の最高時速は3、4ヶ月も維持できない。バテてきた所をシマウマ型が追い抜いて、萎え落ちが大量発生する。長期間のイベントに参加するガゼル型は、イベントがあってもなくても関係なく制作する人間です。イベントだから作っている訳ではない。レースに勝つ事を考えていたら、参加しない事が最適戦略になるのですから。むしろイベントの存在は、普段から歌詞を作っている人に「イベント期間中は絶対に作らないぞ」という決意すら生み出させる苗床になる。
逆に開催期間が短すぎた場合はどうなるのか? 例えば1週間しか無かったとしたら。その場合、今度はシマウマ型が絶滅危惧種ですね。1週間では、1番のサビに突入できるか否かぐらいの進捗かもしれん。参加する事なくイベントが終了してますね。チーター型とガゼル型が猛烈なスタートダッシュをしている間にイベントが終わる事でしょう。スタートダッシュで終わりってのも凄いレースだな。短期間のイベはシマウマ型にとって「ゲームの難易度>>>>>>>>>>>>>自分の実力」ですわ。そもそも萎え落ちどころかログインすらできません。
3週間や4週間だったらどうだろう。その場合、ガゼル型の火花散る猛烈なデッドヒートが繰り広げられる事が予想される。この期間ならガゼル型の独壇場だ。序盤から終盤まで安定した走りを見せるホーネット氏と、遅いスタートから後半のスパートで差し込む王様との名勝負が予想される。うは、想像しただけでムラムラするもといワクワクする。ダークホースとして、「え? レースに参加してたの!?」という感じの歌犬氏やごっつっつ氏がラストのラストで隠し玉を投入する番狂わせもありや。レースの最中にどこまで成長するか測定不可能なポカメ氏まで参戦しようものなら、最後の最後まで順位が予想できないデッドヒート。まあ、シマウマ型の俺はレースに参加する事は出来そうにもないが、観客席でぜひとも観戦したい勝負ではある。3、4週間だとシマウマ型は、ラストのサビに突入できるかどうかも怪しいし。
去年開催された2ヶ月間がベストな期間かどうかは解らないですが、かなりベターな期間だったと今にして思います。シマウマ型は「ゲームの難易度≒自分の実力」で最後まで走れたし、ガゼル型は「ゲームの難易度>自分の実力」で手を抜かなければギリギリいけるライン。
ただしこの2ヶ月って数字は最長で2ヶ月です。これ以上期間を長くすると、ガゼル型には越えられない壁が発生して萎え落ちが発生する。更に更に長くすると、HDA氏の独走状態になり俺ですら萎え落ちする。
イベントは現状、戦意喪失する事なくHDA氏に喧嘩売ろうとするバカ野郎は俺一人しかいない訳ですから、独走状態になったらもうコンテストじゃなくなりますね。そうなったらコンテストではなく「エッチなHDA氏のエッチな制作をエッチに見守る会」に名前を変更した方がいい。それはそれで人が集まりそうだが。
誰かが居ないと張り合いない! 相手がいてこそ間違いない!
ただ、独走じゃあ駄目なんだ。それじゃあ、勝負は盛り上がらない。
一人でもそれを補って余りある凄い作品を作ってくれるならばそれでいいじゃないかって? そりゃぁ、一人でも凄い作品を作る事は出来るのだろうが、その場合案外上限は低い所に設定されている。上限はどこにあるのかというと、己を律し続ける強靭な克己心が尽きた所が限界領域。身近に素敵なライバルや仲間が居てこそ、己の限界以上の力を出す事が出来るのですよ。イベントはもっともっと賑やかでいい。独走じゃぁ名勝負も名作品も生まれない。
ここでゲームの難易度と実力の関係を整理してみましょう。
「難易度>>>>>>>>>実力」が萎え落ちです。挑戦しようという気概すら吹っ飛ぶ。
「難易度≒実力」が最適なパフォーマンス領域。手を抜いたら負けてしまうが、頑張れば勝てるというギリギリのライン。最後の最後まで諦めずに走り続ける難易度がこれ。ゲームマスターの仕事は、多くのプレイヤーがこの難易度になる様にゲームバランスを調整し続ける事です。これが出来た時、そのゲームは神ゲーになる。
そして「難易度<<<<<<<<<実力」は何かというと、これは退屈です。勝てるかどうかのワクワクドキドキ感は微塵もありませんね。だって勝てるに決まっているんだから。ライバルもなく、手を抜いても勝つことが保障されているのだとしたら、それは退屈と断ずるに些かの躊躇も無いわ!! 勝利を約束された独走状態に陥ったら、クオリティを追求するどころか退屈すぎてさっさと辞めたくなってくる事でしょう。ゲームプレイヤーをそういう状態にさせてもいけない訳です。
期間は短く密度は高く
開催期間についてあれこれ考えてみましたが、結局の所は「やってみなくちゃ解らない」に収束する。予想は出来るが予想しか出来ない訳ですから。やりながらゲームバランスを調整するしかない。ただ現時点で解っているのは、どんなに長くても2ヶ月です。これをちょっと短くする分には構わないけど、ちょとでも長くするのはアウト。
それに短くした方がいい理由がもう一つあって、それは密度の問題です。長くすると皆が皆、全くバラバラで孤独に走る事になる。これではイベントを開催する意味が無い。今回は5ヶ月間の長丁場でした。これだと、5月に走る人、6月に走る人、7月に走る人等、みんな走る時期がバラバラで、互いに刺激しあうシナジー効果が極めて弱い。
それに対して去年の密度は凄かったですよ。いつツイッターを開いても、誰かしらが何かをやっていた。いつ見ても誰かしらが何かに挑戦していたし、誰かしらが苦悩してたし、誰かしらが舞い上がっていたし、誰かしらがミスに悶絶していたし、誰かしらが成長していた。
俺は毎日それを見続けていたものだから「いつまでも艦これイベやってる場合じゃねぇ!!」と勢い良く飛び出さざるを得ない状態に追い込まれる。
初めはHTML5を使うとどんな事が出来るのか試すだけのつもりだったのだが、全身全霊で挑みたくなってしまった。「このままじゃ勝てない!」という危機感から、メッチャ楽しみにしてた艦これイベを捨て、休日を捨て、しまいにゃリアルマネーまで捨てて挑むハメに。
強力なライバルがウジャウジャひしめいていたせいで、締め切り最終日まで追い込みをかける事になる。去年のラスト2日の投稿数がもたらしたデッドヒートはマジでやばかった。すぐ側に、最後の最後まで走り続けるライバル達がいた。
イベントをやる以上は、お互いがお互いを刺激しあうシナジー効果を期待したいのですよ俺は。独りで苦悩して独りで作って独りで張ってワーイで終わるのであれば、イベントの存在意義は薄い。
まとめ
書けば書くほど書きたい事が増えていくスパイラルに陥ったので、ここで強引にまとめたいと思います。もうこの記事のタイトルなんて忘れてしまった人が殆どでしょうが、当初はタイトル通り、書きたい事が3つあったのですよ。
・まず王様の実力を正しく評価する事
・現状の歌詞イベは王様等のガゼル型が低評価になるバグを抱えている事
・そのバグは戦略である程度までは対処が出来る事
以上の3つを書いた時点で記事を終える予定だったのだが、ここで終わってはいけない(使命感)となったので、イベントのシステムを変える改善案を考えて書いてきました。
戦略を駆使するなど、本人の努力で解決できる問題であれば「もっと頑張れよ」の一言で済むのだが、システムに起因する問題は根性論で解決できません。特に今回、ガゼル型は頑張れば頑張るほど不利になっていく理不尽な仕打ちで、萎え落ちが大量発生する事態になっているのですから。これではイベントは盛り上がらない。
なので記事の後半は、今後もしイベントを開催するならこうして欲しいという、ゲームマスターに提出する嘆願書になっています。ただしこれは民意を反映した嘆願書ではなく、俺の意を存分に反映した嘆願書です。イベントがどうなったら俺は最高に楽しめるのかを、全力で考えてきました。
イベントでは、ガゼル型が猛威を振るってくれないと俺はツマラナイ。特に去年は、ガゼル型のホーネット氏の存在がとても大きかったです。コミュの掲示板にて、俺はホーネット氏こそが最高の作品を生み出したと断言しました。学び、成長し、挑戦し続けるその姿こそが「作品」であり一大叙事詩だからです。もしもホーネット氏が居なかったら、俺はあそこまで自分を追い込んでいなかったし、ブランクの壁にぶつかってすぐに諦めていたかもしれん。
俺がどれくらい頑張れるかは、ライバルがどれくらい頑張るかに全てかかっている。だからこそライバルがわんさか出るようなイベント改善案を考えました。
「オメーの意しか反映してないイベントの改善案かよっ!!」というのであれば、是非あなたも改善案を考えてみて下さい。ここに無料で書き放題の素敵なブログもある事ですし。それに多くの人の色んな視点から眺めて見ることは、他の人にとっても有益な事ですよ。イベントはまだまだ多くのバグを抱えています。しかし、目玉の数さえ充分にあれば、いかなるバグも問題では無いのです。
そんなこんなで長くなりましたがここで一旦この記事を終わろうと思います。
それでは、次回の記事までごきげんよう。
追記(おまけ)
書いていい物なのか迷って保留にしていたのだが、書いていいとの事なので追記しておきます。
今回の記事ではコメント職人の走破スタイルを書いてみました。こういう事を考えたり、分類したりするのが趣味の人間なので、通勤中とかルーチンワークの最中とかはひたすらこんな事ばかり考えています仕事しろ。そしてこの手の分類をする時、毎度毎度困るのがozto氏とヒロス氏の存在だ。
あの2人は一体何なの?
毎度毎度どこに分類していいのか迷う。今回の走破スタイルでは、2つの物差しを採用しています。瞬発力(作り始めてから完成するまでの早さ)と、持久力(完成するまでひたすら作り続ける粘り強さ)の2つ。この2つの配分具合のグラデーションで分類しています。そしてこの物差しで両名を測ると、よく解らん、という結論になる。
瞬発力はどれくらいあるの? よく解らん。
持久力はどれくらいあるの? よく解らん。
俺の持っている物差しでは測れない事ばっかりなんだよ。観測しても例外ばっかり出てきて平均値が解らないし、どれが基準点なのか解らない。俺があの2人の走っている姿をイメージすると、全く呼吸を乱さず涼しい顔で談笑しつつチェスをしながらトライアスロンを完走している姿しか思い浮かばねぇ。寝てる時に見る夢みたいに意味不明な脳内イメージを、無理やり言語化するとこうなる。
まず両者に共通している事は、「執念」とか「気迫」とか「死ぬ気で」みたいに、歯を食いしばって鬼気迫る表情をしている姿が思い浮かばない。いつでも涼しい顔をしている。もしも死ぬ気で頑張って、出来るかどうか解らない難事を成し遂げたら、誰彼構わず語りたくなってくると思うのですよ。けどあの2人、どんなに凄い事を成し遂げてもサラッとした事後報告ばかりだし。
これは、もはや成し遂げる事が非日常ではなく日常になっているからだと思われる。例えば、のび太のテストを考えて見ましょう。もしものび太が必死に勉強をしてテストで70点を取ったとしたら、もう隣のクラスに響き渡る位の絶叫を挙げて、ジャイアンやスネ夫に見せびらかして、全力疾走で家に帰って、裁判所から出てきて「勝訴」の紙をテレビカメラに見せ付ける時みたいにママにテストを突きつけるくらいの事はやるだろう。しかし、もしこれが出来杉君の場合だったら、100点を返されてもノーリアクションでランドセルにしまって終わり。出来杉君にとって、テストで100点を取る事は昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏な日常なのですから。
そんな感じで両名共に、のび太の様に歯を食いしばってハチマキしながら勉強している姿はイメージできない。仮に何かを成し遂げても、「今日は朝起きて顔を洗って歯を磨きました」とか「太陽って東から上って西に沈みますよね」という会話と同レベルの「それって当たり前の事ですよね?」というニュアンスでサラリとした報告しかしない。自分が凄い事をやっているという自覚は多分無いですね。
もし力作を作ろうとしたら俺の場合、事前の準備を入念に行わなかったらまず作れない。雪山登山をする登山家の様に、もっていく荷物の選定や事前の肉体改造が万全になるまで山にはいけない。ところがあの2人の場合、「ちょっとコンビニ行って来る」って感覚で普段着のまま登り始めてそのまま登頂してしまう。どんな力作を作る時でも「よし、全力で頑張るぞぉぉぉぉ!!」って気迫は他の人と比べてあまり感じ無い。コーヒーブレイクの度にいちいち「よし、全力で味わうぞぉぉぉ」と気合を入れるとしたら、どんな娯楽の無い地下収容所で強制労働しているんだって話だ。そんな日常の出来事に気合を入れる人間は居ない。2人はいつでも涼しい顔で一切呼吸を乱さず走っている。
後、何でトライアスロンをしている姿がイメージされたのかというと、10年近く絵・装飾・歌詞と走り続けているからですね。10年近く同じ趣味を続けるこっちの持久力はマジぱねぇ。
同時進行で色々な作品を作っているから、一つの作品でどれくらい走り続けているのか良く解らない。息を切らす様な全力疾走をしないから限界がどこにあるのかも解らない。速く作ろうと思えばいくらでも速く作れるし、時間をかけて丁寧に作ろうと思えばいくらでも丁寧に作れるし、10年近く走り続ける持久力まである。
こんな生き物をどうやって分類したらいいんだと、ノートに書き殴りながら必死で考えました。考えた結果、ひょっとしたらマグロ型ではないかという候補が出てくる。
マグロは一般に、時速100キロで泳ぎ続けると「言われている」。持久力特化の赤い筋肉でこの速度は速いし凄い。しかも面白いことに止まったら死ぬと言われているので、CAを辞めたら死ぬであろう2人にはピッタリだ。な~~る程。マグロ型かぁ~~、と納得しかけた所でシャーペンをノートに叩きつけました。
なんで2人だけ魚類やねんっっ!!
しかも走破スタイルを考えているのに、何で2人だけ泳いでいるねんっっ!!!
陸上生物のカテゴリーに収まれよ! しかもその後、マグロは実際の所どんな生態なのかをグーグルに尋ねてみたら、意外な事が解りました。マグロに関する話は俗説ばかりで、実際には時速7キロ程度だし、止まっても死なない。「止まると死ぬ時速100キロのマグロ」は、いうなれば「ユニコーン」や「ドラゴン」と同じく、人々の意識の中にしか存在しない神話上の生物な訳です。
なんで2人だけ神話生物やねんっっ!!
勝手に神話になるな! 動物になれ!!
ここまで考えてきた所で、もうこれ以上考える事を諦めました。俺の力量と物差しでは、どう足掻いても既存のカテゴリーには納められそうに無い。こんな自由奔放な人達を、一体どんなカテゴリーに閉じ込められるというのか?
力尽きた所でおまけコーナーを終了します。
それでは、次回の記事までごきげんよう(2回目)。