歌詞アートの表現における一線に関する考察

NO IMAGE

どうも皆さま。多分CAクラスタの中では一番新人であろう(歌詞アート沼に嵌りつつある)スカイアローです( ゚Д゚)

 

デビュー戦は皆さまご存じ()ウォルピスカーターの歌ってみた神話入り。そこであまりにも『SKY ARROW』を投稿しまくってた結果スカイアローさんと呼ばれ、「もうそれいっか(適当)」となり、こうして名乗る事にしました。

それから地道に色んな人のCAをパクり参考にしながら技術を磨いてます。今思えば、HDAさんのシュタインズ・ゲートOP歌詞を見たことが僕にとっての一番の転換点でした。あれを見ることが無ければ今頃こんな暇人を極めたようなことやってないです()

はてさて、自分語りはここまでとして……

 

タイトルが最早どこぞの大学論文()みたいになっていますが、そんな難しいことは言えません。だってタイトルこれ以外に思い浮かばねーんだもん(ヤケクソ)

ここでは僕はあくまでも歌詞CAを始めたばかり現在五か月目)という観点から歌詞アートというものについて分析()してみたいと思っております。

そもそも動画にコメントアートを投下する意味とその反応

CAクラスタ目線では

先ずはここから考えてみませう。

歌詞アートを投稿することは即ちその動画と一体化する事です。

 

「この動画が好きすぎてたまらない!」という思いが、皆さんのCAに関わった切っ掛けの一つだと思います。

かれこれ僕自身も例の歌ってみた神話入りの時にCAクラスタが来る確証がない

じゃあ俺がやるしかねぇか!という感じで始めました。

ぶっちゃけ他の人も(多少の差異はあれど)あんまり変わらないと思います。

 

「この動画の中に自分も同化したい!」という思いも大きいでしょうね。

その動画の中に、ありったけの自分を表現する。視聴者側としてCA以上に動画内で自分を表すものはないでしょう。

一般の視聴者目線では

ここでの一般の視聴者とは、動画内にて偶々CAを見かけた『CA製作者ではない人たち』と定義します。

僕はまだ辛うじてこの頃の感覚が残っているので、思い出しながら書いていこうと思います。

 

ぶっちゃけね、ue big red だとか shita medium blue 等だけで打ち込んでいた人たちの事を『本物の職人』だと思い込んでいたんですよね。これ等の事を『歌詞字幕』と総称してこの記事では扱います。(なんかフラグ立った気が……)

ちなみに今の僕にとってのCAと言うものに対する定義だけ軽く触れると、『スマホ機能だけでは表現しきれない臨海幅で文字固定を使ったり mincho ender 等でコマンドを使いこなして表現されたもの』としています、まる。

それはともかく。

 

そういった事があったというのもあって、僕がHDAさんの歌詞アートを初めてみた時は衝撃でしたね。

本当にコメントであることを疑ってしまいましたよ……。でもコメント非表示にしたら消えるし。

 

しかし上記の事を踏まえた上で考えてみると、中々難しいなって思うこともあるんですよね。

 第一点に、『一般の視聴者がコメントアートに触れる機会が少ないのでは』ということ。

 第二点に、『歌詞アートが視聴者にとってどう見られるのかが解り辛い』ということ。

 

第二点に関してを重きを置いて見ようと思います。

 

どこまで表現できるかの線引き

 

はてさて、どのCAクラスタも一番考えているテーマだと思います。

CAクラスタ側は出来る限りで動画内で自分を表現しますが、それが一般の視聴者にとってどうみられるかはまた別問題です。

 

かれこれ僕自身も以前調子乗ってやり過ぎたことはありました(笑)。まぁCA始めたてって言うのもあったし、この界隈のことについてあまり詳しくなかったという事もありましたね。

 

カンザキイオリP作のボカロ曲『命に嫌われている』に歌詞アートを投下したのです。僕も好きな曲でしたし、ミリオン達成という記念すべき節目だったので投下したい! っていう気持ちが先走った結果、背景歌詞だけのところに歌詞アートを重ねるという多分やってはいけない事TOP5に余裕で入ってきそうな事をやってしまっただけでなく、動画内で歌詞字幕を貶めた挙句職人アピールをしたっていう、多分一番やったらアカン奴やったなぁって思います。(黒歴史)

幸いにして動画はそこまで荒れないうちに歌詞アートは消えてくれましたが、Twitter内では結構物議醸してたなぁ……。

ハイ勿論反省してますとも。

 

上で言ったような気持ちがあって投下したのは間違いないんですが、その一方で『職人すげぇ』コメントをもっと欲しがってしまったのも暴走した要因の一つですね。

 

その一方で、『転生したらスライムだった件』のアニメOPに歌詞アートを投下したことがあったんですよ。

これは予めタイミング・コマンドともに準備して投下を開始したのですが、途中から歌詞が投下できなくなったんですよね。勿論こんなことは初めてだったのでびっくりしてSlackとかTwitterで助けを求めました……。

原因はNG登録を喰らい過ぎて動画から弾き出されたと言うこと。つまりは僕の歌詞が視聴者にとって不快なものとなってしまったということなんですよね。

勿論前回と同じ轍は踏むまいと考えて投下しました。自己主張も抑えて動画の背景に合わせて歌詞を投下していっていた筈だったんですが、結果としてそうなってしまったというお話でした。

一方で歌詞アート最前線で未だ活動されている方々や野生の職人含め、NGではじき出されている印象は殆どありません。この二つの事象は、一見別の事に見えて、一次元上で起きていることだと思ったわけですよ。

 

一般の視聴者を魅了しつつ、かつ動画を楽しめる点がどこかにあるはずなんです。

そのある意味での線引きのラインについてですが……。

 

分からねぇに決まってんだろ( ゚Д゚)

はい、逆ギレです。

そんなCA初めてまだ半年もたってねぇペーペーに分かる訳ねぇだろ(ヤケクソ)

 

でもそういうことなのかなぁとも、同時に思う訳です。

どこまでが一般の視聴者の不興を買わずに済むか。結局それは最早何度も歌詞を投下してみないと判らないように思うんですよ。初めは大人しめな naka medium mincho ender full での14行流しの一番下で流していくやつから入って、少しずつ取り入れる技術を増やしていく。

多分これを何度もやっていかないとこのラインは分からないと思うんですよね。視聴者の大部分は歌詞CAが投下されるとそりゃ喜びます。だって僕がそうでしたから。

 

一方で僕らCAクラスタは、その歌詞を不快に感じる人がいることを忘れてはならないと思います。

一歩間違えれば動画荒らしになってしまいかねない、そんな存在であることを念頭に活動しないといけないなと、改めて感じます。

 

なんだか月並みなことしか言えてないですし最後投げやりになりましたが、こんなところでおさらばしようかと思います。

 

ではでは。

CAコラムカテゴリの最新記事

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。