「本物のコメント職人」を定義する

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ブロマガおじさんことヒロス氏の尽力により、実に素晴らしいブログが誕生した。何が素晴らしいって、プレミアム会員費を払わなくても無料で記事が書き放題! ブログとして極めて当たり前の事ではあるのだが、わざわざ不便な物を押し付けて「快適に使いたかったら金払え」というニコニコ動画のビジネスモデルに飼いならされた身の上としては、こんな当たり前の事にも感動してしまう。

 

ただでさえ不便なニコニコのブロマガだったのに、それに輪をかけて数少ない利点であった「記事のマイリス登録」を廃止すると発表。これにてヒロス氏はニコニコのブロマガに見切りを付け、本ブログを立ち上げたのだろう。多分。

 

沈み行くドロ舟から抜け出して新しい船を用意し、来るもの拒まずで「さあ皆、俺の船に乗り込め!」と声高らかに宣言した訳だ。オーケー、乗ったぜ船長。

 

このブログについて「一人は寂しいので誰か一緒に使って」と、やたら女子力高めな言い回しをしているが、この発言を俺の脳内フィルターに通すとヒロス氏の姿はこう映る。

一人は寂しいので誰か一緒に使って♥

集いました。さあ、共に目指すは果て無きフロンティア! 実に素晴らしい船を用意してくれたものだ。流石ブロマガおじさんは格が違った。

 

 

 

さて――――――

 

 

 

ブログの運営長に充分な貢物を捧げた事により、ようやく本編に入っていける。

 

なんと言っても今回取り扱うテーマである「本物の職人」は、「コピペ」や「ツール」程ではないにしても、充分な炎上案件ですから。苦労して作ったブログが開設早々炎上してしまったなんて事になったら「誰でも大歓迎なこのブログでも、オメーだけはもう二度と呼ばねーぞ!」って事態になりかねん。

 

monmon氏がブログの運営長だったら「話題になって多くの人がコメントについて語るのは素晴らしい事です」と、むしろGOサインを出しそうではあるがなんと言ってもヒロス氏が運営長だ。炎上なんて事態になったら、コンマ数秒で記事を非表示にされてゴミ箱行きになるのは眼に見えている。恐ろしく速い削除手続き。俺でなきゃ見逃しちゃうね。

 

初期タイトル案は巷に溢れているブログを参考にして「俺がww本物のコメント職人をお前らに教えてやんよwwwww」という品性のカケラも無く、皆がタイトル見ただけで引用リツイート大量発生不可避なタイトルにして、しかしながら中身は極めてクソマジメな記事というのをやる予定だったが流石に自重した。

 

慎重に言葉を選んで書いていく予定ですよっ、と。まあそれでも、一切記事を読まずにタイトル見ただけで脊髄反射の持論を展開する有識者を止めることは出来ないですけどね。それは仕方が無いと諦めて下さい運営長。

 

さてさてさて。どこかに居るであろう言い訳の神様に充分な貢物を捧げた事により、ようやく本編に入っていける(2回目)。

 

「本物」を定義する

定義すると大仰に言ったはいい物の、言葉の定義なんて文脈によってコロコロ変わる物です。文脈から切り取った定義にあまり価値は無い。

 

解りやすい例としては、ドラえもんに出てくるジャイアンのセリフ。かの有名な「心の友よ」というセリフがどういう意味なのか? この言葉を定義付ける事は不可能に近いですよ。何せこの言葉は、状況に応じて「お前はかけがえの無い友人だ!!」という意味になったり、あるいは単に「感動した!」という意味で使われたり、はたまた「お、いい物もってんじゃーん。ちょっとそれ俺に貸せよ」という時にも使われる極めてハイコンテクストな理解力を要求される多義語ですから。「心の友とは○○という意味である」と厳密に定義付けるのは不可能だし、それこそやる意味がない。

 

言葉の意味は文脈によって決まる。例えば「助けて」という言葉もそうだ。仕事で疲れ果てた人が眼の下にクマを作りながら「助けて」と言った時は「もう会社休ませて」って意味だし、トイレの中から「助けて!」という言葉が聞こえてきたらそれは「誰かトイレットペーパー持ってきて!」って意味に変わる。

 

ではコメント職人の逆鱗に触れる「本物の職人」という言葉はどういう文脈で使われているのか? この言葉が使われている場所はかなり限られています。大体は、高レベルなコメント職人のコメが現存する動画で使われる。

 

「これこそ本物のコメント職人だよな~。今は職人気取りばっかりで・・・・・・」

「久しぶりに本物のコメ職人を見た! 昔はこんな職人がゴロゴロいたのに・・・・・・・」

 

これらのコメントは、現役バリバリで「まさに今」活動しているコメ職人には結構カチンと来る物言いなのだ。「じゃあ何か? 今の俺はニセモノの職人って訳か!? 作っている物は本物ではなく贋作扱いってか!? ざけんなこの野郎!!」ってな感じで。今回の記事は言葉を選んで書くと宣言した身の上なので、オブラートに包んで書いているが、俺が血気盛んな若者だった時代はこれの数十倍激しい品性のカケラも無い言葉でああこれ以上書くのはやめておこう。

 

しかし今現在となっては、「これこそ本物の職人だ!」というコメントを見ても「そだねー」としか返していません。この視聴者の言う事は、全くもってその通りだと同意しているだけです。なんでその様な変化が起きたのかというと、俺のメンタルがおっさんになったからというのがかなりの割合を占めているんですけどね。もう血気盛んな若者でもなければ、ガラスの様に繊細な心もどっかに置いてきちゃった身の上なのです

 

しかしだ―――――

 

「そだねー」と相手の言っている事に同意できるまでに変化したのは、俺がおっさんになったからだけではなく、この手のコメントをする人達が本当は何を言わんとしていたのか理解出来たから、というのが一番大きい。彼らの文脈における「本物とは○○という意味である」という定義が理解できれば、多分誰でも「そだねー」と穏やかに返すだけになる事と思いますよ。

 

「これが本物の職人だよねー」「じゃあ俺はニセモノかよっ!!!」

 

違うんです。この文脈における「本物」の対義語は「偽者」じゃあないんです。これは対義語の方を先に見ておくと凄く良く理解出来ます。というか出来ました。この文脈における「本物」の対義語は「即席の」という意味なんです。

 

つまり――――

 

「本物の実力」の対義語は「付け焼刃の実力」

「本物のファン」の対義語は「にわかのファン」

「本物の知識」の対義語は「一夜漬けの知識」

「本物の恋人」の対義語は「一夜限りの恋人」

「本物の天下」の対義語は「三日天下」

「本物の料理」の対義語は「インスタントな料理」

「本物の仲間」の対義語は「寄せ集めの集団」

 

世の中金が無くても出来る事は山ほどあるし、体力や知力が無くても出来る事は山ほどある。しかし、時間を一切使わずに出来る事などこの世に一つとしてない。大きな物事には勿論、例え小さな物事であっても、何かを形にし、成し遂げるには一定の時間を必要とする。その必要な時間(無駄な時間ではなく必要な時間)をショートカットして、インスタントに何かを成し遂げようとした場合、「本物」とはかけ離れた物になる。「本物とはインスタントじゃない物」つまり、「本物とはある程度の時間をかけて初めてなれる物」というのが、この文脈における定義です。

 

だから動画上で彼らが言う「本物のコメ職人」の対義語は、「ニコニコユーザーなら誰でも今すぐに打てるコメントしか打っていないのに職人とか呼ばれちゃっているコメ職人」になります。何の捻りも推敲も加えた後が見えない、ただ思いついた単語を怒涛の「shita big red」で打ち込む職人とか、一時停止して同じコメントを連投するだけの一人弾幕職人とか。

 

因みに他人のCAをコピペするというのは、一切の過程を省く最短のショートカットですね。コピペする職人は果たして「本物」か否かでいうなら、当然「本物の職人」ではなく、「インスタントな、付け焼刃の職人」になります。コピペについては別記事を用意しないとクソ長くなるので割愛。この「コピペ」という言葉もジャイアンの「心の友よ!!」並の多義語ですからね。ガチガチに文脈設定しないと語れないから、手短に説明出来ないのはしかたが無い。

 

 

話を戻しましょう。『誰でも』『今すぐに』打てるコメントしか打っていないユーザーを職人と呼んでいいのであれば「naka white medium defont」コマンドで打ち込まれる「うぽつ!」「GJ!」「wwwwww」のコメントを打ち込んでいるユーザーも全て職人になってしまう。そうなったら最早ニコニコには職人以外存在しないというトンチンカンな事態が発生だ。

 

しかしコメント職人のコメントは、「今すぐに」打つことは出来ません。事前の準備が必要です。練習が必要です。推敲や修正作業が必要です。「うぽつ!」「wwwwww」「8888888」と同じ要領で入力する事は出来ません。「●REC」でさえ、事前に試し打ちをしておかないと、狙った所にピンポイントで置く事はできない。「●REC程度何の準備もしなくてもぶっつけ本番でよゆーよゆー」というのであれば、それは別の意味で「本物の」職人ですけどね。文字幅を完全に記憶し、体で位置を覚える程の修練を積んできたのでしょう。多くのユーザーが、一分たりとも費やさない事に時間を使ってきている。

 

動画上で使われている「これこそ本物のコメント職人だ!」というコメント。見かける度に「本物」を上記の意味に翻訳してきたのだが、どれも支離滅裂な訳になる事なく、相手の言わんとしている事がしっかりと伝わってきたので、今の所この翻訳で間違ってはいないと自負しております。なので俺はこのコメントを見かけて翻訳する度に「そだねー」と返しています。

 

 

 

 

そだねー

そだねー(久しぶりどころか毎日本物見ているけど)

 

「本物」を目指す理由はどこにある?

本編は書き終えたのでここからはオマケパートになります。本編において本物とは何か? という定義を明確にしてきました。そして物事を明確にすればする程、そこに至る道のりと手段も明確になっていく。

 

自分も早く本物のコメ職人になりたい! と思っているがまだ時間をそれ程費やしていないイキのいい見習いや新人がこの記事を読んでいる事を想定して、手っ取り早く本物になる為の方法論を書いていきましょう。「本物になるにはある程度の時間がかかる」のままで終わってしまっては「ひたすら長時間頑張り続けろと? それじゃあ苦行じゃないか(歓喜)」という新人しか生き残れない。これから書く方法論を実践してくれれば短期間で「本物の職人」の称号を欲しいままに出来ます。欲しいかどうかは別として。

 

別に本物だから素晴らしく、インスタントだからダメって事はないですよ。現代の世の中は粗製乱造されたインスタントな物で溢れているではないですか。俺もインスタントラーメンは好きですし。個人的な話をするなら、俺は当然スシを食べた事があるのですが、多分「本物の」スシを食べた事は無い。スシ職人になるには、最低でも10年の修行が必要との事。10年以上かけて磨き上げた「本物の」職人が握る、「本物の」スシを食べた事は無いですね。10倍の値段がするスシを食べれば10倍幸せになれるとも思っていない。

 

それだったら、回転寿司でバイトのにーちゃんがネタを乗っけただけのスシを腹いっぱい食った方が幸せになれる。別に回らないスシを食いたくないという訳ではないので、奢ってくれる方がいらっしゃるのであれば喜んでお供いたします。食わせてくれる篤志家の方は俺のツイッターにDMをどうぞ。

 

更に言うのであればガチの「本物」を楽しめるのは、「本物」を理解出来る素養と教養がある人間だけです。俺は殆ど酒を飲まないので、酒の味が解りません。そんな俺が飲んだ事のある酒の中で最も高価な酒は、50万円の赤ワインだ。過去最高記録かつ今後数十年は破られる事のないブッチギリ。学生時代にバイトしていた時、常連客の社長さんにやたら気に入られてて、その社長さんが持ち込みで持ってきたワインを一口飲ませて貰ったのだ。

 

工場で粗製乱造した即席のワインではなく、俺が生まれるまえから熟成され続けてきたガチガチの本物ワイン。で、肝心の飲んだ味の感想は「よくわから・・・・・いや、全然解らん!」でした。おいしいのか、と聞かれても解らんし、普通のと違うのかと聞かれても解らん。「本物」を理解できるだけの素養も教養も無い訳ですから。本物とインスタントの違いすら解らない。

 

本物になれば、みんなに喜ばれて良い事が起きるって訳ではない。そして、本物こそ素晴らしく、インスタントはクソだ! って訳でもない。俺自身、インスタントな職人の怒涛の「shita big red」コメで笑った経験は一度や二度ではないし。

 

じゃあ、わざわざ「本物」を目指す理由はどこにあるのかというと「自分は本物になりたいのか否か」に集約される。それ以外に本物を目指す理由も必要性もないですから。ゲームのプレイスタイルは人それぞれ。皆本物になるべきだ! なんて微塵も思っていません。なりたいんだったらなればいい。レベルを上げたいんだったら上げればいい。そもそも論として、人生の貴重な自由時間の大半をニコニコのコメントに捧げるダメ人間になりたいって人が、それ程いるとも思えない。

 

もしあなたが「仕事なんて片手間で適当にこなすもの。遊びこそ真剣に打ち込むべき!」と考えていて、無駄と伊達と酔狂こそが遊びの華! と思っている人間なのであれば――

 

 

 

ようこそ――――― 「こちら側」の世界へ。

あんたが一番こっち側だ

 

 

こっち側の世界への入口までは案内しましょう。ただし扉は自分で開ける事。

 

てっとり早く「本物」のレベルを上げる方法論

まず前提として「本物とはある程度の時間をかけて初めてなれる物である」という事。ある程度の時間ってどの程度の時間なの? そりゃぁ、どの程度の時間が必要なのかはどの程度を目指したいかによって決まるさ。同じ条件の人間が2人いて、片方はキャリア1年でもう片方はキャリア10年だったら、同じ本物でも長くやっている方が本物の度合いが強い。

 

つまり本物には度合いがあるし、レベルがある。より高いレベルを目指すのであれば、より長い時間が必要になる。ここまでは、わざわざ書くまでもなく当たり前の事ですね。ならどうやってこの当たり前を覆して時間を短縮するのかというと実は簡単です。

 

ゲームをやっているなら良く解ると思いますが、レベルを上げる為に絶対必要なのは、プレイ時間ではなく、経験値です。時間が無かったら経験値を積むことは出来ませんが、長時間プレイしてるからと言って経験値を積んでいるという事にはならない。自転車に何十年と乗り続けているオバチャンが、何十年も乗っているという理由だけで、ウィリー走行したり、岩山をジャンプで走りまわったりできるようになりますか?

 

なので本物のレベルを短時間で高めたかったら、短時間でひたすら場数を踏んで経験値を積めばいい。それを方法論としてまとめると次の通りです。

 

 

 

 

 

ひたすらリリース。しょっちゅうリリース。そして視聴者の声を良く聴く事。

 

 

 

 

以上。

思いついたアイディアをいつまでも頭の中にしまっておかない。思い立ったが吉日。さっさと作ってさっさと動画に解放する事。ひたすら作っては貼りを繰り返す。

 

もしかしたらあなたはそんなに作りたいネタなんか無いよ、と言われるかもしれませんがあるに決まっているでしょ! コメントアートでやりたい事がカケラも無い人間が、こんなブログに来てこんな記事をここまで読むはず無いんですよ。実際にブレーキをかけているのはネタが無い事ではなく、多分別の要因です。

 

コメント職人ならば、ポケーッと動画を眺めていれば、こんなコメを投下したい! というネタが湧いてくると思います。ですが同時にブレーキをかける言葉が湧いてくる。

 

「みんな凄いCAばかり作っているのにこんなショボイネタじゃ恥ずかしい」

「この完成度の動画では、何やってもジャマにしかならないなぁ」

「俺の下手な技術じゃ、視聴者からバカにされるんじゃないか………」

「今とても忙しいから、ちゃんと作れるかどうか解らないよ」

「互換できるかどうか解らないから、止めといたほうが無難だよな」等々。

 

 

これらのブレーキを一切合切放り投げて、作っては貼り、作っては貼りを繰り返す。そして多分この時期がコメント職人として一番楽しい時期だと思う。何も考えずに作って貼ってワーイを繰り返しているこの時期が。コメントの知識と経験が増えてきた中級者あたりになってくると、コメントの互換がどーたらこーたらとか、他人に意味不明な身内のマナーを押し付けてくる職人が絡んできたりとかに、頭を悩ませる事になる。最初はバカになってひたすら作りまくり、ひたすら貼りまくりましょう。

 

いつまでも頭の中にアイディアを閉じ込めない。コマテに引き篭らない。ひたすらリリース、しょっちゅうリリース。そして最後は、視聴者の声を良く聴く事。

 

他人からのフィードバックを受けるのはとても大事。そうでないと、鏡を見ずに自分の姿勢を正すような事になる。自分では背筋をピンと伸ばしているつもりだったが実は曲がっていたとか。

 

フィードバックを受けずにひたすら自分だけでやっていたら、1年たっても10年たってもレベルは上がらないと思う。自分の何が良くて何が悪いのかがあまり解らないのだから、どこをどう変化させていいのか解らない。どう変化させたらいいのか解らないのだから、当然何年経っても変わりやしません。てっとり早くレベルを上げたかったら、とにかく人目につく所に公開する事。目玉の数さえ充分にあれば、いかなる短所や欠点も問題ではないのです。

 

視聴者の声を良く聴く事、と書きましたが、これは視聴者のいいなりになれって事ではないですからね。しっかり聞いた上で無視する、という選択肢もこの中に含まれています。耳を塞いで無視しなければオーケーです。しっかり声を聞いて視聴者との対話を繰り返していけば、他の誰とも違う個性的な作品が作れるようになりますよ。作りたいかどうかは別として。個性と言うのは、周囲の環境と自分との関係性の中に宿る物ですから。

 

ひたすらリリース。しょっちゅうリリース。そして視聴者の声を良く聴く事。これは何かと言うと、レベルの高い職人や、急激にレベルを上げてきた職人の多くが通ってきた道のりなのです。レベルの高い「本物の」職人ならば、何も考えずにひたすら作っては貼り、作っては貼りを繰り返していた時期がきっとある。あるいは何も知らない新人だったのに、この方法論を実践して短期間で頭角を現してきた職人を何人も見てきた。観察してきた結果論なので、因果関係があるとまで断定はできないですが、相関関係はかなり高いです。

 

例を挙げて具体的に説明していきましょう。「本物の」コメント職人代表格であるozto氏。キャリア11年分の経験値を積んでいるozto氏が本物か否かという事に関しては、議論の必要はありませんね。そりゃぁ、キャリア40年分の経験値を積んでいるコメント職人がozto氏を見たら「まだ出来立てほやほやの青二才www」と嗤う事も出来るのでしょうが、そんな人間は現実には存在しないので無視します。

 

ozto氏が初期の頃にやっていた経験値の積み方はえげつないですよ。動画を見る→ やりたい事がひらめく→ 作る→ 投下する→ 投下したCAのブログ記事を書く。以上のサイクルをたった一日で完結させ、しかもそれを何十回何百回と繰り返している。仮に他の人と同じ1年のキャリアだったとしても、その1年の密度が違うッッッッッ

――――ッッッッッッ!!

 

 

2ヶ月に1本とか、3ヶ月に1本の制作ペースになった現在のozto氏しか知らない人には信じられないかもしれませんがね。若い人にはまだ解らないかもしれませんが、制作ペースが遅くなるのは仕方が無い事なのです。未熟な若い頃はセンスと技術が無い事に苦しみます。しかし、おっさんになってくると肩こりと腱鞘炎に苦しむ事になるのです。やりたい事が山ほどあっても、体がついて来てくれない。おっさんのコメント職人が一番欲しがっているのは技術やセンスではなく、気力と体力なんです(血涙)。ワシも若いころはお主の様に毎晩コメントサーバーをヒイヒイ言わせるほど貼っておったんじゃが、膝に矢を受けてしまってのう…………

 

ハイペースで場数を踏んで経験値を積む。「でも自分はセンスも技術もないからそんなに作れないよ………」と思っている人がいるかもしれませんが、それは色々と間違っています。センスや技術は原因ではなく結果です。つまり、センスや技術があるからCAを作れるのではなく、CAを作り続けるからセンスや技術が磨かれていくのです。

 

本心からセンスや技術を欲しがっているのであれば、嘆いている暇なんかどこにもありやしませんよ。そんな暇があったら、今現在持っているなけなしのセンスと技術を、ひたすら実戦で磨き続ける以外に王道無しです。

原石

 

 

センスや技術や知識が無いから場数を踏めないって事はないですよ。コメントアートを形にするのに必要なのは、もっと別の要因ですから。

 

 

他にも、短期間で一気にレベルを上げた職人の例を挙げるのであれば、去年の歌詞イベで急成長を遂げたホーネット氏が俺の中では代表格ですね。他に最近の事例を挙げるなら、ポカメ氏やAN.氏。作風をガラッと変えてあえて今までやった事のない未知のエリアへ♂突入した配管氏等も、実戦に勝る修行無しを地でいっている。

実戦に勝る修行無し

 

とはいっても「よーしレベルを上げてやろう」と算盤はじいて行動した訳ではないと思いますけどね。ただやりたい事をやりたいようにやっていたら結果として、短期間でレベルが上がっていた。というのが正直な所でしょう。

 

なので短期間でレベルを上げたかったら、やりたい事をやりまくればいいという結論になります。方法論と銘打っておきながら「やってやってやりまくれ!」という極めて脳筋的な結論になるんですよ。やるべき事はホントにシンプル。ひたすらリリース。しょっちゅうリリース。そして視聴者の声を良く聴く事。

 

「やっぱり苦行じゃないか(歓喜)」となるかもしれませんが、ええ、存分に喜んでください。もう楽しいですよ~~。ウソジャナイデスヨ。

 

 

 

こんな底無し沼の世界に足を踏み入れたいのであれば、どうぞいらっしゃい―――――

ようこそ「コメントアートの世界」へ

 

 

 

 

それでは、次回の記事までごきげんよう。

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